連投の、読んではダメだってばよ

書こうと思ってた技術ネタがあったんだけど、事情あって延期、というか「中止」かも。なのでいつもの駄文。またしてもシュタゲネタなのよ。よくもまぁ飽きずにあるものだと自分でも思うよ。

ゼロで、ゲーム版でもテレビアニメ版でも、ストラトフォーの連中がかがりを呼ぶ際のコード名として「K6205」を使っていたことに対し、天王寺が「フォネティックコード」の説明をする。

これ、ゲーム版とテレビアニメ版で微妙に違っていて、テレビアニメ版は「K」を「キーロ」と発声していたことに対して、ゲーム版はファイブを「ファイフ」と発声していたことに対して天王寺が反応している。テレビアニメ版の方が「わかりやすい」かなと思う。フォネティックコードは「アルファ、ブラボー、チャーリー、デルタ、エコー、フォクストロット、ゴルフ、ホテル、インディア、ジュリエット、キーロ、…、エクスレイ、ヤンキー、ズールー」てヤツね。

このさ、天王寺の説明が、ワタシには若干違和感があって。「軍隊用語さ、しかも、西側のな」と言うのだけれど、そして実際「正しい」とは言えるのだけれど、なぜに違和感かというと、このフォネティックコード、実際は「航空用語」でもあるし、なんなら「無線用語」でもあるから。

こういう切り口で調べたことがないので断言はしないけれど、フォネティックコードが「軍関係由来」であることは多分間違ってないと思う。そして、これは「無線という非常に聞き取りが難しいデバイス」での円滑なコミュニケーションのために発案されたものである、ということは私の想像だが、これも多分合ってる。というか航空無線の本物を聴いたことがある人は、即座に納得できるハズ。とてもじゃないが「普通の日本語」も「普通の英語」もちゃんとなんか聞き取れない。

「航空関係用語」からの側面については、実際はもう一つの実用的な理由がある。これはまぁ「軍隊」でもあるいは共通するかもしれないけれど、要するに「英語圏の人ばかりでない」ことが問題になるわけね。実際パイロットも航空管制官も、皆ちゃんと英語を勉強し、不自由なく話せるくらいの努力はしているけれど、ただ現実問題ではやはり「ネイティブ英語を管制官にまくし立てられて」怯んでしまう日本人パイロットは非常に多いらしい。(こうなると即座にゴーアラウンド指示される。) つまり「ネット略語」が日本人には便利なのと同じ理由で、フォネティックコードは多民族間の意思疎通に役に立つわけだわ。

航空用語が軍隊用語と共通する部分が多いのは無論「軍から下りてきた技術」を拝借することが多いから。F-1 とファミリーカーの関係と似たようなもんよ。特に航空管制なんてのは、まさに軍の航空隊からの必要性で始まったもんだしね。あ、まぁ航空関係用語はもう一つ「船舶」からの拝借も多いけどね。航空機を「シップ」と呼ぶのはもちろん「比喩」ではなくて、船舶用語からの借用の結果だと理解してる。多分合ってる。そもそも空「港」だしょ。

ま、そういうわけでさ、「軍隊用語さ、しかも、西側のな」はきっと正しいわけだけれど、ただこういう説明にしちゃうとさ、フォネティックコードがもっと身近に使われてることが薄まっちゃうでしょう? それにね、「軍関係オンリー」な説明だと、「暗号」なイメージで捉えちゃいがちだと思わん? つまり、スクランブルと近い目的のものだと。けれども事実はそうではなくて、「わかりやすく」するためのものなわけよ、隠す意図はない。なんかそれが微妙に気になったのだわ。ついでにいえば航空関係のみならず、警察組織なんかでも使うらしい。ワタシはこっちは詳しくないけれど、あれかなきっと「SWAT」とかの特殊部隊が使ったりするんだろうね。

そいや「軍関係」での独特な言い回しといえば、方角を時計で言う言い方ね。「6 O’clock」とか言うでしょ。これも多分かなり似た話で、当然主に軍が使うけれど軍以外も多用する。これについては「航空用語」にはならなくて、なぜなら航空管制としては正確なヘディングを方位で言わねば危ないからね。現状10度刻みくらいの精度みたいだけれど、それでも「9 O’clock」なんて指示はしてない、ハズ。民間航空用語としてはそうなんだけど、この言い回しそのものは「日本の警察」だって日常的に使っている「らしい」でしょ。「9時の方位より発砲確認」みたいな言い方、ドラマで見たことない? ああいうの、多分にフィクションが含まれるので鵜呑みには出来ないけれど、結構真剣に取材して作りこむドラマも多いので、全部が嘘だ、てことはさすがにないはず。(ちなみにこの言い回しをワタシが初めてきいたのは、映画「プラトーン」だったと思う。)

ちなみに似た話で思い出したのは、これは日本人エンジニア固有だけど、「エー、ビー、シー、デー」ね、これ、聞き間違いをなくすためのエンジニアの工夫で、かっこ悪くても皆これを使う。だからたまに「ええかっこしい」が頑なに「ディー」を固辞しようとすると結構迷惑。郷に入れや従えや、と思うんだけれど、こういう人は周りに絶対に合わせようとせず、「何ならお前ら、間違ってる、正しくはディーだ、ディー」とお叫びたまわる。こういうのってさ、「正しさじゃなく実用性」なわけだ、言うほうも聞く方も日本人なんだから、「正しくはディー」がビーやらジーと混同されたら「正しくたって意味がない」わけ。


ワタシにはほぼリアルタイムだったため、「アマデウス」には最初っから当然「反応」してた。無論映画「アマデウス」のこと。これさ、当時頻繁にテレビ放映してたのよね。たぶんそのうち二回は観てると思う。当然シュタゲのゲーム内でもこの映画についての言及はあって、真帆の ID 「サリエリ」に対して、岡部も映画解釈からのサリエリを即座に想起してたりする。もちろん真帆は「そのつもり」でこれを ID に選んでいる。そしてそれに対して「違うよ」と教えるのがカエデ(真帆に言うのはカエデから教えられた萌郁)と紅莉栖。紅莉栖は答えは言わないんだったよね、確か。紅莉栖の真意に真帆が後で気づいた、ってことだったかと思う。

生涯において、つーてもたかが46年だけれど、まぁ要するに「強烈に印象に残った映画」てのは、そんな何十も何百もあるわけはなくて。だけれどもこの「アマデウス」はさ、なんかすげー衝撃的だったんだよなぁ、ワタシには。これと「薔薇の名前」、「シエスタ」、「シシリアン」あたりかな。どれも似た時期、おそらくワタシが中学か高校の頃に観たはず。

どれももう一度見直してみたいかなぁと思うんだけれど、「アマデウス」はさ、当時もちゃんと意味を理解して観てたヤツね。「シエスタ」も同じく。けれど「薔薇の名前」は全然違って。これはもう「やべーもんみた」って強烈な印象だけはあったんだけど、当時はまさに「さっぱり意味わからん」としか思えなくて。だからこそもう一度みたいヤツ、てことかもしらん。

今見返してどう思うかは別として、当時「アマデウス」をどう感じて観たかはなんとなく憶えてて、「絵も全然動かないしひたすらモノローグ」という、ワタシはこれより前は全くみたことがない作りにとても驚いた、てことだったと思う。これ、多分ダメな人は全然ダメな作品でな。なんなら超絶に「地味」な映画なんだ。しかもとんでもなく暗いし。確かラストはモーツアルト自身の「レクイエム」で終わるんだったよね、違ったっけ? さすがに最後に観たのが30年近く前になるので、かなり曖昧だけれど、少なくとも「好きな映画」と言えるくらいにはかなり強烈に残ってる映画。

つまり、シュタゲ観てたら見直したくなったもの、って結構ある、てことよの。TSCC だって今すぐにでも見返そうかと思っているもの。


鈴羽の話、「完璧すぎて」しか書いてないので、ちょっと書いておく。

まず、「キャラ変」があるキャラは、スピンオフも含めれば桐生萌郁が最も顕著なわけだ。だけど「本編の範囲内で」となると、鈴羽だけが唯一「世界線によってキャラが違う」キャラね。なので「アルファ世界線鈴羽とベータ世界線鈴羽のどっちが好き?」という問いが成立する。これは他のキャラでは出来ない。どのキャラも、皆どの世界線でもキャラは全然変わらないから。

当然キャラが違うので、田村ゆかりさんの芝居も結構違う。というか声のトーンが随分違っていて、アルファ鈴羽は声が結構高く、ベータ鈴羽はぐっと低いトーン。アルファの「底抜けに明るい」鈴羽、が、「人気投票で2位」の理由なのかもなぁ、なんてことを思うと、ベータ鈴羽はそうした支持者たちにとってどうだったんだろうか、てのは純粋に興味ある。

アルファ鈴羽の「身悶えちゃえ」は秀逸よのぉ。ここだけ何度もリピートしたいくらいだ。はいっ、身悶えます、って思わず答えたくなる。だからといってベータ鈴羽の方が劣ってるかといえばそんなことはなくて、ワタシはどっちも好きだ。

そうそう、でその「完璧すぎる」なんだけどさぁ、これって要するにね、「こうリアクションして欲しい」ていう理想の反応をし過ぎるんだよね、鈴羽って。つまりは「そこがいい」のだろうけれど、ただやっぱりワタシにはこの理想的過ぎる振る舞いは、「ファンタジー」に見えてしまって。だから無論「大好き」だけれど、どうしてもちょっと引いた目で見てしまう、彼女については。特に真帆・紅莉栖はさ、つまりは「場合によってはイライラさえする」反応をするでしょう? 見ててヒヤヒヤするような。そういうところがいい、って思ってるわけだ。だから鈴羽の「イライラすることのない」完璧すぎる発言や行動が、シュタゲではやや浮いている。

無論「完璧すぎる」は字句どおりだけの意味じゃないよ。たとえば無印でタイムマシンが故障してしまった際に落ち込む鈴羽、これは人間としては別に完璧なわけじゃあない。そうではなくて、「そういうふうに落ち込んで欲しい」そのまんまの落ち込み方で落ち込むわけだ。なんつーのかな、「感動のテンプレ」ってあるじゃない。ちょっとそれに近い感じ。鈴羽描写って全般そんな感じで、「ダルと由季が幸せそうにしている」のを見て泣く鈴羽、てのも、「それな」そのもの、なんというか実にパーフェクト。こういうところがいちいちファンタジーだなぁと。

つーかそういう意味ではまゆりもそうなのかもしらんけれど、ただまゆりは、特にゼロでは「間違う」わけじゃん、というか「まゆりが間違えたことで始まるのがゼロ」なわけだ。なので「違うぞまゆり」と思うことは出来る。鈴羽にないのはこういうとこかもしらんなぁと。いちいち全部が全部、鈴羽ってさ、「正しい」のよね。間違わない。

そういえば、ゲーム版とテレビアニメの違い、という点で、鈴羽の件で二つある。どちらもゼロの話だけれど、一つは「岡部が殴らせる」のは、テレビアニメではダルだったけれど、ゲーム版では鈴羽。どっちも腑に落ちるのでどっちがいいかてことではない。もう一つが「オペレーションアークライト」発案者。テレビアニメ版はまゆり発信ということになったが、ゲーム版では実は「一年かけて鈴羽が考えた」ことになってる。この件があるので、まゆりに対する印象が、テレビアニメの方がずっと強くなってる。これもどちらがいいというもんではないけれど、個人的にはテレビアニメ解釈の方が好きかな。

「完璧すぎて」と思ってるからといって好きじゃないわけじゃなく、無論かなり好きなわけで、さっき言った「身悶えちゃえ」もそうだけど、鈴羽で好きなシーンてのは当然多い。「色仕掛け」のアホっぷりもいいし、ダルとタイムマシン内で語り合うシーンも大好き。アニメ版だけだったかしら、「それってすごく恥ずかしいこと言ってるよ」「ですよねー」はいいよなぁと毎度。結局のところはシュタゲキャラに対する好き嫌いはこれは「好きな中での程度問題」でしかなくて、どのキャラもカテゴリーとしては「大好き」に入ってしまうわけなのだ、萌郁はもちろん、レスキネンですらも。

まぁそんなだからこそ、こうやって語りたいことがなくならないんだろうなぁ。