222nmに託す希望

何か月ぶりなんだか。

年明け直前だったかに、サポート切れ直前だった Windows 7 機が「死にそうカウントダウン」になり、その時期は色々その PC での作業を止めてバックアップなどの「終活」をしていた。そして年明けすぐにめでたくその PC が「ほぼ死に」になる直前にようやく Windows 10 機購入したので、そちらへ移行…なんてことをちょっとずつちょっとずつやって…る間に、現在の「コロナ禍」になっていた。

京アニ事件についてでも「コロナ禍」についてでも、都度思うところは大量にあり、毎度毎度何か書きたいと思ったりそうすべきでないと思ったりと葛藤するわけで、今回の「コロナ禍」に関しても言いたいことはたくさんある。けれども言いたいことを全て吐き出せばそれでいいのか、といえば、そりゃぁそれで「いくない」。何より「ワタシの気が晴れない」…、今日したいのはそんな話。


政府があかんのだぞてな「必要な正義感」でさえもそればかり叫ばれるならば疲れてしまうし、「ステイホームが叫ばれてるのに潮干狩りなぞケシカラン」という、疫学的にはややズレてるんではないのかいね、という「なんちゃってぢゃーなりずむ」ならばもっと精神疲労してしまうわけなんだけれど、やっぱりね、特に「テレビ」というマスメディアが率先して伝えてほしいのは、やっぱり「希望が持てる情報」なんだと思うわけよね。ここ何日かのメディアの論調は「安心と経済はセットである」になりつつあると思うのだけれど、これってね、「検査と隔離の徹底による安心感」というだけでなくて、企業の取り組みの紹介や新技術に「希望を見出す」こともあると思うんだよね。

ワタシの場合、毎週「サイエンスZERO」を録画してみているほどに、科学技術に関して「希望を感じる」のが普段から好きなわけで、今回ほんとに実感したんだけれど、やっぱりね、「アイディアやテクノロジーで乗り越えようとする」ニュースに触れることが、ワタシの心の安定に直結するんだよなぁ。

そしてそんな中でワタシの中で今一番「期待」しているのがこれ:

テレビ番組のありとあらゆる全てを見れるわきゃないので断言は出来ないけれど、自分がみた中だとテレビでは TBS 系での紹介が一番早かったように思う。こういう情報に触れたときのワタシの心のありようは。「やった、すげー」てのもあるんだけれどもね、それよりも、「これがどういう形で普及した世の中に希望をみいだせるだろうか」と考えてニヤニヤしてる時間、この時間がワタシの心を「安定させる」んだよね。

なんてーの、確かに「医療崩壊」についての情報は「市民の危機感を高め、行政への圧力としても機能する」という意味で、メディアが伝える情報としては非常に大事である一方で…、なんか胸が本当にキリキリと痛まない? 比喩的な意味じゃないよ、物理的に本当に。「体」というのは「心」と一体なんだよ、心が苦しければ、体にも影響する。だからね、「care222でニヤニヤしてる時間」は身体も調子がいい。

そんなわけで「care222でニヤニヤしてる時間」がなんだかんだ結構長いわけ。そうすると、素人ながらに色々深いことも考えれるわけ。それの「おすそ分け」、かな。この「思索時間」は私の精神安定剤なわけだけれど、ここでワタシが展開する「なんちゃってサイエンス」に基づく「結論めいたこと」は、いまのうち言っておくけれど「あなたの心の安定からは少し外れる可能性はある」ことに注意。深く考えりゃぁ、そういうことも出てくるってこった。


まずワタシの考えの前に、基礎的な話。箇条書きするならばこんな感じ:

  1. 紫外線C(UV-C)の殺菌効果についてはとてつもなく古くから知られていて「常識」。
  2. ただしその普及についてはこれまでは研究機関や高度な衛生を必要とする職種に限られていた。
  3. ところが今回のコロナ禍において、例えば電車内の消毒用途などに利用することが注目されている。
  4. 紫外線C(UV-C)は「有害」、なので、紫外線C照射機は無人の場所に使う必要があった。
  5. ウシオとコロンビア大学による「遠紫外線C(Far UV-C)」は、無害(ということになっている、今のところ)
  6. ゆえに、云々(ここからが本題)

Far UV-C ではなく UV-C の方でさえも、「普及していなかったゾーンにおいてはまぁまぁの朗報」なのは、おそらくこれは「スピードとランニングコスト」に関することなんだと思う。出力ワット数にもよるらしいけれど、わずか数分の照射で、ウィルスを99%不活化するとのことだから、まずは「速い」わけであろう。そして、最低でも「消毒液」という使い捨てのリソース使用を最小限にする、ということなわけだね。ついでにいえば、ケミカルなソリューションと違い、UV-C による消毒は、耐性菌を生み出すことがない、という点もある。

「それだけでも結構素晴らしいのになお」、な、「+Far」な点、すなわち「人畜無害である」…「のでどーした?」な話ね。ここからが、ワタシの「意見」というか考察ね。たぶんこのワタシの「考察」でガッカリする人もいるかもしんない、のだけれど、だけどさ、「ちゃんとした使い方を考えて、よりよく使う」ことに希望を見出せる人には、それでもたぶん朗報だと思うよ。


「人畜無害であるので」としてメディアが強調してしまった、おそらく間違ったメリットは。「3つの密になるような場所に設置すれば、3つの密を避ける必要がなくなるのでは」。「3つの密になるような場所に設置」することそのものは、良いアイディアだと思うよ。けれども「3つの密を避ける必要がなくなる」こともないだろうし、ソーシャルディスタンスを忘れていいことにもおそらくならない。

なぜならば。これを理解するには、そもそも「消毒」には何を期待するのか・出来るのか、について「正確に」理解する必要があると思う。

ワタシが思うに、「消毒」は「地雷除去」に似ていると思う。特に今回の新型コロナウィルスに顕著なのは:

  1. 飛び散った飛沫に含まれるウィルス
  2. →手
  3. 不特定多数が数多く触れるモノに触れてウィルスが付着し、そこで長時間生きる
  4. →それに触れる
  5. →その触れた手と口が接触することから感染する

というタイプの感染なわけだが、「消毒」がターゲットにしているのはあくまでも 2. 以降であって、1. 、つまり「患者自身の感染力を奪う」ことではないのである。

つまり、今回の新型コロナウィルスで最も厄介な「感染力の高い無症状患者」がマスクをすることなく満員電車に乗り込んでいるとして、そこに Far UV-C を照射し続けることに期待出来る効果は、その患者が乗っているその瞬間の、その患者の周囲にいる乗客に対する「安全」については多分ほとんど絶望的に期待できなくて、そうではなくて「その患者がまき散らしてしまったであろう時限爆弾(地雷)の除去」なのであろう、ということだ。「その患者がまき散らしてしまったであろう時限爆弾(地雷)の除去」がどれほどの安心感になるかについては言うまでもない。けれども、「絶賛まき散らし中患者」の周囲が安全になるのではなかろう。


ここまでは理解できただろうか? そうだとして、である。じゃぁ「Far UV-C を大々的に使おうぜっ」と普及させるとして、「どこにどういう風に配備すれば最適なのであろうか」、について考えるのが…、まぁ「楽しい」というかさ、少なくとも「希望が持てるしワクワクする」、てことなのじゃないのかな、てことだわ。

これについてはほんとに毎日考えたりしてるんだけれど、ワタシと同じタイプの人には、この思索自体がオススメ。ちょっとは心が晴れると思うよ。「いつか宇宙旅行に行けたら楽しいであろうなぁ」と考えるのと似たようなもんだと思うよ。それよりはもうちょっとは「近くて実現しやすそう」なので、スケールが小さく感じる人もいるかもしんないけれども。

少なくとも現在のワタシには「結論的な網羅的な何か考え」はないけれど、ただ、「数分照射」という時間的なことと「時限爆弾除去にはなる」という性質から考えると、建物の階段・エスカレーター・エレベーター・電車(などの公共交通)といった、分単位に及ぶ「人の運搬装置」から始めると、まずは「(自分が感染していない前提での)ウィルスを持ち込まない制御」として機能させることが出来て、もしかしたら「市中感染のスピードを鈍化させる」ことに寄与したりしないかしら、なんてことは思う。

なんにせよ「公共の場所のありとあらゆる場所」に普及した場合にね、「まったくもって気休めにすらなってない」というほどに無価値ということは考えられないことだけは確かで。どんなに最悪でも、感染速度の鈍化には間違いなく寄与はするはず。いや、少なくともワタシはそう信じている。そういう未来を望んでいるというわけなんだけれど、そう、「安心と経済はセット」、こうした「安心感」に「カネをかける」ことで経済がまわるんじゃないのかなぁ、てことだと思うんだ。そう、結局のところは、言いたいことはそういうこと。オリンピックをやりたいなら、「まずは検査と隔離を徹底すること」が大前提で、さらに「テクノロジーで夢を見ようぜっ」てことだと思う、今日この頃、なわけなのであった。

をしまい。


翌日追記:
本当は追記ではなくて別ネタとして独立して書こうと思っていたことなんだけれど、色々考えた挙句ここに追記のほうがいいかなぁ、ってネタをば。

そもそもは2月頃からの「消毒液とかが入手困難だぞどーしてくれる」てな目先でかつ喫緊の問題解決のための情報を探していたわけである、もとはといえばワタシでさえも。マスクはかなりどうしようもない(ほぼ「諦めて再利用する」)が、消毒については「ん? そうか代替品とか考えられるわけか…」という発想でもって。その過程で Far UV-C のネタが掬い上げられたのだとしてもこれは「一家に一台」を望むもんではあるまいよ、てことだと思うわけね。別にそういう未来は願って悪いことではないけれど、少なくとも「今日明日にでも」とか「来年には」てもんではなくて、せいぜい30年後には全家庭で使われてるといいなぁ、て程度であろう。

そうではなくてあくまでも「消毒液とかが入手困難だぞどーしてくれる」の代替品とか考え方については、たぶんこの先生のこれを前から順に読むのがいいと思う、のだけれども、ワタシなりに整理して主張するならばこういう感じ:

  1. 手指消毒に関しては、そもそも「流水で洗い流す」だけでも効果抜群
  2. しかも石鹼による手洗いは「エンベロープ型ウィルス」の弱点を突くことになり、より効果的
  3. ゆえに、「アルコール等による消毒」を「石鹼による丁寧な手洗いに加えてさらに行う」という必要性は皆無、一方のみで良い
  4. 「アルコール等による手指消毒」は石鹼・水洗いを使えない状況でのみ考えれば良い
  5. すなわち「入手困難で弱る」と世界の中心で叫ぶのは、「モノについての消毒」「外出時」「職場」について考える際だけにするが良かろう

てことなわけね。で、「モノについての消毒をしたいのにアルコール消毒液が手に入らんのぢゃい」について解答を与えてくれようと目下活動してくれているのが NITE なわけだね。「アルコール消毒液」が手に入らないとしても「モノについての消毒には界面活性剤が使えるのだぜぃ」てことね。

てことで、なんせリアルタイムで研究成果が更新されていく真っ最中なので、くだんの NITE の発表は更新を心待ちにする日々だったのよ。ところが、て話。

おそらく「次亜塩素酸水」が話題沸騰なのは、よほどの情報弱者でない限りは気付いている、よね? あまりに話題になったので、「対策に意識的な店舗」の多くが採用しているらしい、てことが、テレビ映像から推察出来る。なんでここまで話題になったかと言えば、既に効果が十分に知られている「次亜塩素酸ナトリウム」が人間にも結構な有害で「手指消毒に使えないのみならず、吸い込めば呼吸器障害を起こす」のに対し、「次亜塩素酸水」は安全安心だ、という認識が広まったから。

そして。くだんの NITE の発表である。今月中旬発表時点では検証対象にはなっていた「次亜塩素酸水」についての中間報告が一切なかったので気になっていたのだけれど、昨日発表の中間報告をみてびびってしまった。あららなんか不穏…。

「次亜塩素酸水」そのものの効果を全否定する内容ではないのだけれど、「世に出回ってるまがい物に対する注意喚起」な内容になっちまっておるのであった。なんぢゃこりゃぁ。

まぁあくまで個人的ニーズから言えば、「次亜塩素酸水」を「我が家で欲しいのだぞ」なんて思うことは皆無であって、たとえば「職場の皆に手指消毒を徹底させたいとして、アルコール消毒液が手に入らないなら代替に出来るのかしらね、おっと自力生成出来るのか、興奮するぜ」という夢を見ることはあっても、結局それだって「職場の洗面所に石鹼を常備、でええやん」と言ってしまえばそれまでなわけで、「是が非でも」てことではなかったわけで。だから「次亜塩素酸水」についての評価が多少否定的でも、泣いたりはしない。

ただこの件で最も気になったのは、「空間噴霧」に関して。たとえば学習塾での対策の一つとして次亜塩素酸水噴霧機を使ってる映像なんてのは、随分目にした。NITE 発表は基本的にこれについては「完全否定」の立場なのではなかろうか。ワタシの上述の『「患者自身の感染力を奪う」ことではない』と完全に同趣旨のことを言ってるのも、興味深いといえば興味深いのではあるけれど、やっぱ残念な気持ちにもなる:

消毒剤を(トンネル内、ロッカー内、チャンバー内などで)人体に噴霧することは、いかなる状況であっても推奨されない。これは、肉体的にも精神的にも有害である可能性があり、感染者の飛沫や接触によるウイルス感染力を低下させることにはならないからである。さらに、塩素や他の有毒化学物質を人体に噴霧すると、目や皮膚への刺激、吸入による気管支けいれん、吐き気や嘔吐などの消化器系への影響が生じる可能性がある。

うーん、そうか、効果はないんか、と。

「地道に出来ることをコツコツと」しかほとんど答えがないことは、頭では理解できている。Far UV-C はそうした地道さから少しだけ飛躍出来るゲームチェンジャーであることは間違いない。けれどもそうしたピンポイントな「決定打」は、やっぱりそうそう多くはない、ってことなんだろう。


6月3日追記:
「ポジティブな話題を酒の肴に思索してると楽しいんだぜ、そうやって心を安寧に保とうぜ、健康のために」が本題であり趣旨なのだから、「消毒」そのものについて個々の詳細を事細かに論ずるつもりもなかったのだけど、読み返してみるになんとなく「遠紫外線万能説、昔ながらの UV-C なんかなくなっちゃってもいいんだぜぃ」みたいになりかねんなぁ、と。ぼうず、そいつぁ違うぜ。

テレビでの紹介の仕方は、今のところワタシの懸念のような論調にはなってなくて、ちゃんと「UV-C」そのものにもちゃんとスポットを当ててくれている。とはいえ日機装のこれ、もうちょっとちゃんと伝えてあげたほうがいいのになぁ、と思ってる。「紫外線はちゃんと新型コロナに効いた」の「一例としての日機装、だけれどもこれは人体に有害なので遠紫外線を研究しているウシオの方がすんげーんだぜ」みたいに思われちゃわないかしら、と。

日機装がやってる製品はこれはこれですごいことのようで、つまり:

  1. 昔は水銀灯だったんだぜ(もっと有害)
  2. それを LED たのだぜぃ(水銀灯よりははるかに安全だし「速い・安い」)

UV-C と Far UV-C の実用上の差異は「剝き身で使えるかどうか」なわけで、「より無頓着に使える」であろう Far UV-C の方が「より嬉しい」のは確かである。だけど、そりゃぁ「使い方」というか、製品の設計でかなりどうにかなる問題でもあるのであって、実際に製品化されている「空気清浄機」では生成された光線そのものは「人の目に触れる場所に照射する必要がない」んだよね。

考えてみれば今回の新型コロナウィルス、上述で例にしたのは「接触感染」、だけれども、初期に武漢で起こったレストランクラスターは「飛沫エアロゾル + エアコン」で感染拡大したわけで、こうしたパターンに対しては、かえって「固定範囲に照射し続ける」ことよりは「浄化空気を循環させる」というアプローチのほうが正解な気がするよね。要は UV-C だろうが Far UV-C だろうが「アイディア次第」ってことだ。これってますます希望が湧くよなぁ、って思う。


6月7日追記:
「ポジティブな話題を酒の肴に思索してると楽しいんだぜ、そうやって心を安寧に保とうぜ、健康のために」が本題であり趣旨なのだから、「消毒」そのものについて個々の詳細を事細かに論ずるつもりもなかったのだけど…と舌の根も乾かぬうちに、な追記。

本当は最初に書いた時に、そこまで書くかどうか葛藤した上で、「心を安寧に」な本題がかすむことを懸念して書かなかったこと。けどね、やっぱ少しは「深めた思索」も書かないと、「考えるという行為そのものが楽しい」というのが伝わらんかもしらんなぁと思って。「(紫外線照射機を)どこにどういう風に配備すれば最適なのであろうか」と言った。けれどもその詳細を書かなかった。その話ね。

(特に Far UVC な)紫外線照射が「ゲームチェンジャーとなりうる」のに賛同するとして、だとした場合に「どう使えばゲームチェンジャーとなりうるだろうか」、という問いに対し、「Far UVC な紫外線照射をあらゆる場所に配備するのだ!」は、あんまし答えになってない。特に、「消毒ってのは地雷除去みたいなもんである」という性質を考えた場合、実際のところ医療機関に配備するのは実はそんなに価値はない

言い過ぎましたごめんなさい。正確に言うと、「医療機関での利用とそうでないところでの利用とでは意味がまるで違う」。もっと細かく言えば、事前条件次第である:

  1. 感染者がいることが確実、もしくはいたことが確実
  2. 感染者がいたり、いた過去があったかどうかはまったく不明

はっきり言って、前者のパターンにおいては「Far UVC」のみならず「UVC」の価値も非常に限定的である。すなわち「効率的」であることには価値はあるものの、「院内感染は絶対に起こしてはならない」のであるならば「紫外線の照射範囲外」の網羅のためには結局は「紫外線照射以外の消毒」を徹底することしかなく、要するに「紫外線照射だけで万事オッケー」ということには決してならない。

対して後者のケースである。こちらははっきり言ってしまえば「言うなれば気休め」であり、いったいぜんたい何がどう「ゲームチェンジャーたりうるのだろうか」ということなのであるが…。

何が違うかと言えば、期待する意味がまるで違う。前者の場合は結局は「環境からウィルスを(理想的には)完全に根絶する」ことを目指す必要があるのに対し、後者の場合は、感染者の存在が発覚しない限りにおいては「ウィルスへの接触確率を下げる」ことである。感染者の存在が発覚しない限りにおいては、時間的空間的にウィルスに接触する確率が集団としては下がれば良い。たとえば「ひょっとしたら感染者が触ったかもしれない吊り革に5分後にさわることのリスク」が下がればよい。これはすなわち「本当に感染者がいた場合には」リスクを減らしたことになるが、そうでない場合にはこれは「安心感」にしか寄与していない。けれどもこれこそが「経済をまわす」のに必要なことである、ということである。

こうした気休めは、「かつてなかった」のであろうか? 否。いわゆる公衆衛生に関するものならば、「抗菌・抗ウィルス」が実際感染拡大防止にこれまで一切寄与してきていないとは当然思ってない。安心感への寄与もあったろう。では「人にとって無害な紫外線照射機」のいったいどういった性質が、それら既存のものと違うのだろうか? 何をもってして「こいつぁゲームチェンジャーなのだぜぃ」なのだろうか?

これはつまり、通常の照明に置き換える形でどこにでも配置出来うるということである。それもおそらく「安価に」。設置が安価なだけならばJR西日本が実施した「抗菌・抗ウィルス散布」がもたらしてくれるものと大差がない可能性もあるが、Far UVC はおそらくランニングコスト・メンテナンスコストがかなり安くつく。「抗菌・抗ウィルス散布」の抗菌・抗ウィルス効果には有効期限があり、数年後には「再散布」が必要である。これはおそらく車体のライフサイクルより遥かに短い。無論「散布」には人手が必要であるわけである。

すなわち Far UVC がゲームチェンジャーたりうる最も大きなファクターは、考えうる網羅率の異常なほどの高さ、であろう。理想的には「照明がある場所全て」に配備出来る可能性があるほどに「どこにでも」置ける可能性がある、ということである。

そして話は元に戻る。「そうであるとして、どこから始めれば即効性があるだろうか、などと考えるのが楽しい」。ワタシはその力がないからやらないけれど、コンピューターシミュレーションするとかなり楽しいのではないかしら、と思う。

なお、シミュレーションの有無はともかくとして:

この図において「接触感染が10%」と解釈するならば、「照明がある場所全てに Far UVC 配備したとしても安心感はたかだか 10% 増しにしかならない」と考える…かどうかはあなた次第です

をしまい。


6月7日追記 (2):
うーん。書き足りなかった。「照明がある場所全てに Far UVC 配備したとしても安心感はたかだか 10% 増しにしかならない」件に関して。これね、「そこも考えるの楽しいぜ」てことでもあるとはいえ、さすがに言わないと気付かない人も多いかもしれんので、一応ね。

「思索」であれシミュレーションであれ、実際頭の片隅には入れておかなければならないのは、「環境による感染≒接触感染」の時間軸についてね。

実に、「環境による感染」以外の要因全てが「感染者に 4D として接近」することが必要なのに対し、「環境による感染」だけ時間軸が一致していなくても良い。すなわち 10% はあくまでも 4D 接近した場合における 10% である。だから実際は「あんたの身の上に降りかかっちゃう確率」の増減てのは 10% よりは遥かに大きいよ。

まぁ「地雷除去のようなものである」を記憶できている人であれば、あえて言わなくてもわかる人はわかる、とは思うんだけどね。だ、けれども。そもそも人間は「2D」を超える次元を「イメージ」するのは苦手なわけ。それこそちゃんとアニメーションのようなもので説明されない限りは、脳内だけでこれを想像するのは、これは誰にとっても簡単なことではないのよね。

それともう一つ。「芋づる式」という連鎖についての想像は必要。

「環境による感染」を喰らってしまった感染者は、「新たな感染源である」てことね。つまり『「環境による感染」を喰らってしまった感染者A』が『「環境による感染」を喰らってしまった』という事実は、実に、次なる感染候補者Bにはまったく関係がなくて、単に「感染伝播を喰らう確率が増えただけ」。難しい数値シミュレーションを想像しにくいのであれば、「ネズミ算」について考えればいいと思う。「ここでの一匹は数世代後の何匹だ?」てことさね。

ね? こういう数学、考えたら面白いかも、て思わない?

今度こそをしまい。


6月7日追記 (3):
ふむ、やはり「今度こそをしま」わず、やはり書きたいことは増えるなるなり。

「疫病は内包していた社会構造を早回しする」みたいなことを言っていたのは NHK の ETV 特集で(少なくとも再放送が 4/9 に)放送された「緊急対談 パンデミックが買える世界~歴史から何を学ぶか~」。ほんとにね、なんか色々スピードが速い。

ここまで書いてきた内容からリンクしている外部サイトの更新もやはり早くて、たとえばウシオのサイト、最初にリンクした際には書かれていなかった【お客様へのお知らせ】が増えてる。ウシオに関しては、ワタシが最初に読んでから増えた情報は二つ:

  1. Care222 の国内販売は 9月から。
  2. Care222 供給開始した Acuity Brands社は、組み込み照明器具を 2020年後半より北米中心に販売開始予定。

つまり、「Care222 で変わる世界」を目にすることが出来るのは、最も早くても9月以降。

現時点においては「紫外線で変わる世界」を「今すぐみたい」のならば、「遠紫外線」ではなくて「深紫外線」の一択、この場合は例えば日機装の方を検討するのも良かろう、てことだ。「9月」は思ったよりはずっと早いけれど、上でちょっと考えたように「常時照射」よりも「浄化空気循環」の方が適切かもしれないことはあるとは思うので、「Care222 で夢見ることが出来ない 6~8月は暗黒期」てわけではあるまいよ、と。

「紫外線で変わる世界」を「今すぐみたい」、の主語がなんらか事業者ならたぶんそんな感じ。ただ、「一般人としてのおいら」てことなら話はちょい違うだろう。ご家庭向けに「Care222」ても、これはいわゆる「牛刀」というやつであって、「石鹼による手洗いをしなくて済むんだぜ」になるならともかく、そうですらないんだから。ゆえに、「おいらが見たい夢」の具体はたとえば「品川駅に設置されてたらいいのに!」みたいなことなわけよね。

一般人がそういう夢を叶えたいならどういう行動を取れば良いのだろうか、と。これは、例えば学者なら「シミュレーションを世間に示して世論を動かす」ことをすれば良さそうだなと思うけれど、そうでないなら、たとえば SNS で「#JR に Care222 を」みたいな運動をしてみる、なんてのが「現代的」なのだろうね。

なお、ここまでで書き忘れてきてたけれど、「紫外線照射による消毒」の大きなメリットとして、「新型コロナウィルスそのものはあんまし関係ない」てのがある。基本的に「紫外線に強い疫病」は存在しないので、「Care222 で変わる世界後」というのは、「新型コロナウィルスに強い世界」なのではなくて「疫病に強い世界」になる、てことなのよね。


6月15日追記:
大阪府大の秋吉先生の考え方や、私が「遠紫外線」に期待する根底にあるのはこれは、例えるならば「オルゴデミーラとのラストバトルに備えて、可能な限り優秀な防具を使いたいのだぜ」である。けれども一方では、「ザコキャラと闘いまくってレベル・熟練度を上げなければ」も必要であり、「優秀な防具」には「科学技術の進歩」という時代性が必要であり「現代的」である一方で、「レベル・熟練度を上げなければ」は、ナイチンゲール北里柴三郎時代から変わらない普遍性があり、しかもなおかつ「誰でも平等に実践出来る」。

疫学的に、ナイチンゲール・北里柴三郎時代からの普遍性を持ちつつも、「理論的な武装という意味で言えば十分に現代的」なのが、京都大学宮沢孝幸さんの「ウィルス1/100作戦」:

一応科学的…が言い過ぎならせめて「科学風味」な考察に基づく提言ではあるけれど、求めている行動変容の内容たるや、ナイチンゲール・北里先生と実に何にも変わってない。(「風味」から「的」にクラスチェンジするためには、数値シミュレーション味のふりかけでも塩かければ良いだろう、それだけで「ちゃんと科学」になる。)

「優秀な防具を整える」ことと「熟練度・レベル上げ」は二律背反などではなく、両方やればええやん、ということ。


6月27日追記:
まぁあえて私が言うことではないんだけれども:

一番最初の追記で触れた「次亜塩素酸水」の後日談、だわな。ただ、くだんの追記を書いた次の日以降に、メディア各局もワタシとおんなじように大騒ぎしたんで、案外皆注視してたんだろうな、とは思う。

「有効塩素濃度35ppm以上、かつ、たっぷり使うのだぜぃ」てのが今回の最終報告のキモではあるんだけれど、実際問題前回の中間報告のほうが「言いたいこと」としては大きかったんだろうと思う。NITE が必死に「無効だとは言っておらんのぞ」と説明し、座長の松本哲哉先生がテレビでちゃんと説明してても、それでもどこぞの団体が実際に「誤報だ、風評だ!」という謎反応をしたように、一般人が誤解するリスクは確かにあった。けれどもあの中間報告は、ひとつには「噴霧したらアカンよ」という注意喚起として成功し、かつまた、「「次亜塩素酸水」と一言で言ってもそんな一言で言えるほど単純じゃねーのよ」ということを「ジャブとして」伝えることに成功出来たのは、まさに中間報告のおかげ。あれがなかったら、「35ppm以上」という最も大事な情報を見逃すメディアが大量発生していたことだろう。

ところで、「「我が家にも次亜塩素酸水」と考えなくてもいいんだぜぃ」という趣旨のことを上で書いたけれど、なぜに皆が「次亜塩素酸水、かっけー」と熱狂してしまったのか、については一言触れたほうがいいかもしんないと思った。

これ、こういう流れだったんだよね:

  1. アルコール消毒が効くのは既に証明済。
  2. アルコール消毒液の品薄状態が一向に解消されない。
  3. 無水エタノールを薄めればいいんだぜぃ。
  4. 無水エタノールも品薄に。
  5. どうすりゃいいんじゃぁ。
  6. 「消毒液 自作」→「次亜塩素酸水は自分で作れる」
  7. きゃーすてきー

つまり、「自分で作れる」というのがなかったなら、ここまで皆が飛びつくことはなかった、てことであろう。

「自分で作れる」ことが相変わらずワタシ(あなた)にとって価値があり続ける場合は、「生成器」がどんな「次亜塩素酸水」を作れるのか、つまり作られる「次亜塩素酸水」の塩素濃度はどれだけなのか、てことを知る必要がある。また、「たっぷり使え」って、どんだけよ、てこともある。無論「コストパフォーマンス」についても考える必要があろう。


8月24日追記:
フォトンクリーナー、だそうだ:

秋吉先生の発想はワタシの考え方とは結構違って、割と「個人レベルが本気で限りなくゼロリスクに近付ける」考え方に立っておられる。ゆえに、心配性の個人にはかなり喜ばれる製品かなと思う。「お店でこれが設置されてたら安心感につながる」→「経済がまわる」。なるほど。

ところで、このページを書き始めたのは無論「222nmな紫外線」の話をしたかったからだけれど、当然秋吉先生のサイトを熟読してるんで、「光触媒」に関しては無論興味を持っていたし期待もしている。なんでここまでワタシはこれに触れてこなかったか、についてはそんなに深い意味はあるようでない。たぶん遠紫外線なアプローチほどには「どこにもかしこにも」が出来なそうだなぁ、と思ってたからだが、フォトンクリーナーみたいなアプローチなら、そうでもないんだよね、だから今となっては理由にならんかなと。というか、ちょっとしてやられたわい、な気分、「その手があったか」と。