よんじゃいやん

久しぶりの更新で書くのはそれかよ、てか。

京都橘高校吹奏楽部は、年度にもよるけれどジャクソンファイブ・マイケルジャクソンの曲を結構やる。これの曲名が思い出せなくてなぁ:

これね:

で、思い出したあと、今度は「そういやぁ I Want You Back ってなんかの曲に似てるんだよなぁ」病。なんだっけなんだっけ、と数日考えてたがわかった。これだ:


「チコちゃんに叱られる」を毎週録画している。毎回見てるわけでもないけれど。一ヶ月くらい前の回だったか、「タイムマシンは既に実在している」てなテーマがあった。

連想ゲーム好きというかさ、色んなことが頭に浮かんだ。

一つ目。「地球物理」なんてのを学生時代やってたもんで、「時代を閉じ込める」ネタがそもそも好きである。「地磁気逆転」の話は聞いたことあるかな? これの証拠の一つが、私には当時とても面白く感じたのだよね。「プレートテクトニクス」と直接関連するのだけれど、プレートにね、「地磁気を記録した縞模様」が記録されてるのですわ。「我々がほしいタイムマシン」こそないけれど、こういう「人工でない記録媒体」というものは現実にはゴロゴロある。地磁気の縞模様はカセットテープみたいなもん。すなわち、「ぼくらが直接見ることが出来るなどとは考えたこともない遥か過去」を直接記録した自然物(=テープレコーダー)はまだきっとたくさんあって、それを再生する手段さえ発明出来れば、もしかしたら「恐竜時代」を直接映像で見ることが出来る、なんてのも「夢ではないかもしれない」のだよね。「チコちゃんに叱られる」は「少し未来に行くタイムマシンは(相対性理論により)可能だが逆は理論上も不可能」という結論で締めていたけれど、タイムマシンの定義を少し緩めて、「同時代性は問わず、直接参照することが出来る」という意味でとらえるならば、そもそも「テープレコーダー」ないしはそれに近いものは全てタイムマシンである。なんてな。

二つ目。その「相対性理論」そのものの話。シュレディンガーの不確定性原理も同類(以前その話は書いた)なのだが、これらを「神秘性」で誤魔化そうとする風潮が理解できない、て話。どちらも「そう思い込めばこういう世界に見える」てだけの話なのだよ。これに「常識から考えればありえない」というツッコミを入れると本が売れる(「相対性理論はやっぱり嘘だった」という本が実際に出版されている)。そしてそうしたツッコミは「神秘性」で誤魔化した報いだ。もっと言うなら「発見」と「発明」の混同でもある、これは。高校時代に「円周率が円周になるなんて発見、すげー」と驚いている同級生を説得しようと試みたことがあるが、無駄だった。円周率は「円周と直径の比を円周率と呼び習わす」という発明に過ぎない。相対性理論は「光より高速なものは見つかっていないので、これを定数と仮定すれば、それに基づく世界はこう見える」という「発明」である、発見ではない。みたいな。

三つ目。上で挙げた橘のマーチング動画を例にするとわかりやすいのでそれで。撮影者が二人いるとする。スタート時、二人の撮影者はほぼ同じ場所にいるとする。この二人が撮影した動画を「音で同期しようとする」話。この二人、ゴール地点では、一人が先頭、もう一人が最後尾にいるとすると、どうなると思う? これがまぁ面白い。橘の部員は100人以上いて、一年生がまだ参加しない春先を除けば、大抵はほぼ100人くらいのマーチングになる。一歩が 62.5cm だそうなので、これと列幅が同じだとし、かつ、標準では橘は3列編成なのでそう仮定すると、演奏者部分だけで 100/3*0.625 = 20.8m。ドラムメジャーとカラーガードは結構離れていることが多く、なんとなく20mくらい離れていそうなので、てことは、全体で 41m くらい。音速は標準大気(ISA)では 343 [m/s] なので、隊列の先頭と最後尾では 0.06 秒のズレがある。誤差、ではないよ、人間の耳は、経験的には 1/50(=0.02) 秒くらいも識別出来ることがある。なので、そうやって同時にスタートした二人の撮影者が、一人はずっと先頭を追いかけ、もう一人がずっと最後尾をついていった場合、「0.06秒過去(未来)」を同時に記録出来る。タイムマシンだ。みたいな。(ちなみに音速の話を実感するのに、NHK でやってた「大科学実験」が面白かった。多分探せば見つかると思うので探してみて。)

四つ目。ちょっと毛色が違う話。NHK スペシャルで今「シリーズ 大江戸」なんてのをやってることにも関係してるけど、「もし自分がその時代の人間だったとしたら、どんな人間だっただろうか」と考えることが多い。自覚していようがしてまいが、今の自分を作ったのはそう、「時代」である。スマホは言うまでもなく、どころか第三次産業が当たり前なのは「空気のように当たり前」。これが当たり前どころか「想像すら出来ない」時代である。ぼくらが、どれほど後天的なもので作られているのか、こういうことは「ほんとに江戸時代の人になってみる」ことをしない限り、わからんのだろうなぁ、と。そして個人的にもっと面白いと思っているのは、「江戸時代って、おれの爺さんの爺さん、てくらい近く、文化も相当近い」ということなのよね。身の回りにある色んなことって、江戸時代起源のものがとてつもなく多くて、だから案外「江戸時代の人たちが見ていたもの」とまったく同じように、似た感性でみていることが、これは結構多いわけだ。この「似ているし似ていない世界」というのがね、なんか面白いと思うわけだ。みたいな。


アニメの話。

今期はなんだかスポーツものが多いね。「はねバド!」と「はるかなレシーブ」、「ぐらんぶる」。わたしは高校時代バドミントン部だったこともあって、「はねバド!」がちょっと嬉しかったりする。少なくともメジャーになった漫画やアニメで、ひょっとして「初」だったりしない? バドミントンもの。

最近アニメ習慣つけてわかってきたことなんだけれど、最近の傾向ってとにかく「スポーツや音楽のリアルさ」を追及したものが非常に多いのよね。「響け! ユーフォニアム」は勿論そうなのだけれど、リアル路線はこれに限ったものではなくて。「ユーリ!!! on ICE」とかもそうだよね。この傾向の火付け役は、(「響け! ユーフォニアム」の)京都アニメーションによる「けいおん!」だったのかしらね。実写映画もこの傾向が強いけれど、こちらはおそらく矢口史靖だろうね(スイングガールズなど)。こういうのって、続きすぎると「またかよ」って思いかねないんだけれど、結構好物なんだよね、このタイプ。して「はねバド!」、まぁリアルだよ。部活時代を思い出す。まぁワタシはすごーく弱かったんだけれどもね。

「はるかなレシーブ」はリアルなのかはよくわかんない。まぁ楽しんでる。しかしまぁ、種崎敦美が出てるんだけど、「あのみじょれと同じ役者とは思えない」。まぁみじょれが特殊てのはあるけれども。「ぐらんぶる」はバカアニメ系ではあるんだけれど、安済知佳目当て。これも楽しい。

あとは「Back Street Girls-ゴクドル」が楽しい。かすかにエロいが、どこまでもやーさんである。楽しい。そしてエンディングテーマが「どアイドルソング」で滅茶苦茶かわいい。初期の Perfume ってこんな感じなんだよね、オマージュか?

「アンゴルモア 元寇合戦記」は、「面白いに違いない」と期待して見始めたが、どうにも乗れず、4話で脱落。「ベルセルク」ぽい妙な演出がどうしても気になって。なんなのあの表現。こういうフェイク時代物って、本来は大好きなのだけれどもねぇ。

そうそう、「BANANA FISH」。これはさ、もう「やると知ったその日から完走確定」なわけですよ、あたし的に。これ、「へぇ、これが少女マンガなのかぁ」とそれと自覚して少女マンガを読んだ初めての作品だったのだ。大学学部時代に結構通ってた喫茶店に置いてあってね、全部一気に読んだ。なので「最低でも 25年以上前の作品」である。これをきっかけにして、萩尾望都をはじめとした名作少女マンガにハマっていった。(ちなみに「地球へ…」体験はもっとずっと前で、これは小学校低学年時の映画版のテレビ放映で、当時これが少女マンガだとは知らずに観ていた。) 「BANANA FISH」に限らないんだけれど、「やってもヒットしない」と思われていたのか、いわゆる「少女マンガの黄金時代」の名作って、ほんと、旬な時期はおろか、最近になってさえもアニメ化されたりドラマ化されたものって、ほんとに少ないのだよね。限られたもので有名なのは萩尾望都の「イグアナの娘」じゃないかと思うが、萩尾望都なら「ポーの一族」をアニメ化しなさいよ、と、そのハマってた学生時代に思ってたし、今でも思っている。こういう「いまさら?」なものたちも、これは需要あると思うぞ、是非いっぱいアニメ化してくれぃ。

というかあれか…。「特定のタイプの少女マンガ」ばかりがアニメ化・ドラマ化されてきた、ということか。よく考えたら「エースを狙え」「ベルサイユのばら」だとか、「キャンディ・キャンディ」みたいなタイプは、定常的にアニメ化されておるね。スポ根もの、宝塚系、幼児向けとラブコメなら「安全にアニメ化・ドラマ化出来る」てことだったのかもなぁ。だいたいにして、男が少女マンガを毛嫌いする理由がまさしく「どラブコメ」なわけで、食わず嫌いの多くは、まさしくこれらのアニメ化が主犯だったりするんじゃないのかなぁ、なんて思ったりする。たとえば「日出処の天子」なんぞをアニメ化して流行ればさ、男どもの少女マンガへの偏見が、少しは消えるんじゃぁないのかなぁ、と、個人的には思うのだよね。

「天狼 sirius the jaeger」は評価保留中。あんまし感心しては観てない。それこそ「ポーの一族」と比較しちゃうですもの、こうしたバンパイア系は。まだ完走するかどうかわからん。切るかも。

「プラネット・ウィズ」は。「なんか結城友奈は勇者であるっぽいなぁ」と思いながら、なおかつ「先生がにゃんこ先生とダブってしまう」。結構面白いかなぁとは思うけど、熱中してはみてない。でもまぁ多分完走はするかな。

あとねぇ、ワタシが住んでるのはいわゆる集合住宅で、J:COM 経由でテレビを観ているわけなんだけれど、なんか最近になってやたらアニメをやるようになった。懐かしのものが結構あるかな。あと J:COM じゃないけれど、なぜだか前期の「ウマ娘」を再放送し始めて。リアルタイム時は興味がなくて初回も観なかったんだけれど、最近になってこれの製作の P.A.WORKS が富山の会社であると知って興味を持って。サクラクエストが意外にも相当面白かった。(ちなみに「天狼 sirius the jaeger」も P.A.WORKS。)

「進撃の巨人 SEASON III」。前作までをまったく観ていなかったのだけれど、映画版の放送をやってくれて、あぁ結構おもろいなと思ったので、見始めてみた。正直内容的にそんなに好きでもなくて、こういうのはゲームでいいんじゃないの、て感じではあるのだけれど、でもアクションシーンをみてるだけで惚れ惚れしちゃいますもの、それだけ、なんだけれど、「そこがいい、それがいい」て感じ。なんにも心に残る要素がわたしにはないんだけれど、とにかく気持ちがいい。なんつーか、アニメの楽しみ方としてさ、こういうのもありでしょ。


橘の話に戻る。

最近になってようやく橘以外のマーチングにも興味を持ち始めた。箕面自由だとか、柏、市立船橋とか色々。どれもそれぞれに良さがあるとは思う。それで「橘らしさってなんだろうか」と考えるようになってきた、て話。

ちょっとわかってきたのだけれど、橘でないいわゆる「正統派マーチング」と橘の一番の違いって、低重心かどうか、あるいは「上半身の振り付けがあるかどうか」なのかなぁと。「低重心」というのは、日本の「能」の足運びっぽいかどうか、って話で、日本人のマーチングに限らず、「能っぽい動き」の正統派マーチングが多いように思う。また、多くのマーチングが「フォーメーションの全体の美しさ」を至上命題にしているからか、上半身の振り付けがないものがほとんどなのではないかと思う。なんというかな、「360°どこのどの瞬間を撮っても絵になる」ことは普通のマーチングはあまり重視していなくて、あれだよ、高校野球の応援で人文字なんてやるでしょ、あーいう「全体を見ると美しい」ことは目指していても、ズームして個々人をみた場合にかっこいいか、かわいいか、ということはあまり重視はしないのだろうね。上半身の振り付けや、あるいは橘が多用する「カノン」なんかは、「個人を抜いても絵になる」ことを重視するからこそ、なのじゃないのかなと。

そう、橘の動画が飽きないのは、「360°どこのどの瞬間を撮っても絵になる」から。何度みても新しい発見があるのよね。

そうそう、「橘」以外の動画をみてて気付き、あとで橘でも、てのがひとつあった。「スーザフォン」の話。「スーザフォン」て、要するに「携帯用チューバ」なわけね。チューバよりも少し軽い。軽いといっても、9kg と聞いた(12kg と言ってる人もいる)。ともあれチューバより軽い。そして、担ぎやすいようになってる。が、「チューバを担いでマーチング」してる高校があった。すげー。…、と思ったら、あとで橘でもそれをやってるのをみた。とにかくなんかすげーよ。あんなデカいのを、肩よりも高く持ち上げてるんですもの。(ちなみに「20kg のザック」を女子に持ち上げさせると大抵膝上にさえ持ち上げられない。12kg でも相当でしょうよと思うわ。)

ちなみに、最初にリンクした橘の DAION でのマーチングの、動画の一番最初にきこえてる宝島は、箕面自由学園高等学校吹奏楽部の演奏。彼らの演奏全体がきける動画もあるので、探してみるとよろしい。上手よね。彼ら、「笑ってこらえて」で一番最初に橘とともに紹介された年度で、全国大会で金賞をとってる。(橘は銀賞。)