読んではならない おおみそか版

読むな言うておるんだから良い子は読まないハズ。

今回書こうと思う話ってさぁ、書こうかどうしようか凄く迷ったんだよねぇ。というのも「遅ればせながら」に過ぎる話だから。

去年あたりからのワタシの記事の内容からわかるように、「アニメ熱」を持ったのはまさしく宝石の国キッカケであって、それ以前はほんと、あまり真剣ではなかったわけね。だから、熱を持ってから観ようとするもの、観ようとしないもの、の明確な境界のひとつになっていたのは、「続編ものは悔しくなるので避ける」であり、なので「2017年10月期以前からの続きもの」は避けてきたわけだ。

もう一つ基準になっていたのは「ゲーム原作のものは避ける」。これはこれまででいい印象のあるものが少なかったのと、なんつーか「知れてる」気がしてたから。

うがぁぁぁ、、、、、失敗してたぁ。

この残念な二つの「こだわり」で落としてしまっていたのだ、あの「シュタインズ・ゲート」を。実はこれ、今年春の「シュタインズ・ゲート ゼロ」放映開始時点に気付いてて、そしてまさに「続編かぁ、ゲーム原作かぁ」と、落としてしまった。

けれどもふと最近になってから「あまりにも評価が高い」(MAL では無印が2位、ゼロもえーっと50位以内には入ってる)のが気になって、視聴してみた…ら、さぁ大変。

やべー。めでたく「オールタイムベスト」の一つに仲間入りした。

なんつーかさぁ、「評論」かましたいほどドはまりしとるわけなんだけれど、あまりにファンの多い作品であるし、何を書いても今更感だったり、「どこかで見たような」ものになるだろうと思うんで、まぁ「意見」を書くのは出来るだけ避けようと思う。コンパクトに言えば(原作ゲーム・スピンオフ等々全部通して)「アラ探して何十個も文句があろうが 100点満点の 99点」と言いたくなる作品、ということ。

「アラ」はね、すぐにわかるもの、すぐにはわからないもの、結構あるよ。多分個人的に一番気になってるのはタイムリープマシンの仕組みについて。アニメだけみてるとわからないけれど、原作ゲームではここは相当頑張って考えられてて、「だけれどもそれでは機能しない」ことが結構すぐにわかる。ゲーム原作での説明のフローの個々の矢印一つ一つを分解して検討すると「いや、それじゃダメじゃん」とわかるてのもあるし、そもそもが「データだから」てのはこれは「誤解」を含んでいる。(もっとわかりやすく言えば「転送」に関する考察に重大な欠陥を抱えているてこと。「0と1だから神話」てことよ。その「0と1の羅列」をどう、何で運ぶのだい? 地上波デジタルがどう我々のもとに届くのか考えてみればわかる。)

ただそんなアラ、どうだっていい、てことだ。

前にスターウォーズに絡めて SF の楽しみ方をちょっと書いたことがあるけれど、要するに SF には二つの大きな柱があって、一つには「起こりうるか?」、もう一つが「起こったとしたら?」。両方が大事な側面で軽視は出来なくて、シュタゲは少なくとも「両方かなり頑張ってる」。少なくとも前者に関して「SF リテラシーや学がさほどでもない」一般人が「少し深く考えたことがある」程度なら「騙されうる」かもしくは「あー、それ考えたことある」程度にはかなり深い。アニメは少し削ぎ落とされちゃってるので、そこに不満を持ったなら原作ゲームも試してみるといい。そしてもちろん後者、「そうだったとしたら」の描き込みが凄まじく、特に:

1             23話ベータ --- ゼロ1話 --- ゼロ8話
2               |                          |
3 無印22話 --- 23話 --- 24話             無印22話
4               |
5            ゼロ23話

この繋がりがあるせいでこれらのどれかを観だすと無印からゼロ、ゼロから無印の無限ループに陥り、そしてゼロでのカタルシスが凄まじい。(ちなみにスピンオフ作品の「線形拘束のフェノグラム(の紅莉栖、まゆり、ルカ子ルート)」「哀心迷図のバベル」も含めると、延々これらをぐるぐる見続けるハメになる。(もちろん劇場版とそのドラマCD(「現存在のアポステリオリ」などなど、連鎖のトリガーになる作品はやまほどある。)

もうね、これは「一生残る作品」になりました。うー…2010年だっけか、無印は。まぁあの頃は完全にアニメから離れてた時期だったからこれはもう仕方がないのだけれど、ただ、「ゼロから観始める」でもアリだったんじゃないかしら、とも思った。

あー、だからそういう意味で「2018年の覇権アニメ」は、もう「シュタインズゲート ゼロ」一択です、異論は認めない。

なんかあれだよ、「あかねさす少女」とか恥ずかしくなるもん、あまりに酷くて。というかどうした、桂正和。イマサラ何を頑張ってる? 賞味期限切れじゃない? (いや、ともよは悪くない、悪くないよ、たぶん。)

なお、「アニメと原作ゲームのどっちが素晴らしいか」については、それぞれの良さがあって、どちらも捨てがたい。アニメは当然放映時間の制約から来る「スピード感重視」な、より瞬間沸騰な魅力があり、ゲームはその時間制約のなさから来る、「悪く言えばカッタルい」とでも言えるほどのスローな演出が逆に切なく愛おしい。アニメの改変度合いは無印よりもゼロの方がかなり大きいが、ワタシは個人的にゼロはゲームの方なら「かがりエンド・紅莉栖エンド」(ルートAというのかな)の方が全体的には好きだったりする。無論トゥルーエンドのまゆりがあってこそのゼロなので、エンディングの気持ちの良さはトゥルーエンドが最高峰なのだけれど、そのルートB の「ほうのかがり」(と桐生萌郁)が悲し過ぎて、アニメほどの気持ちの良さがなくてな。

あー…書き始めると止まらなくなるんで、もうやめておく、ここらへんで。


シュタゲに気付かない人生だったならば。たぶん「宇宙よりも遠い場所」「ひそねとまそたん」「ゴールデンカムイ」の3つかな、印象的だったのは。あと「はねバド」もかなり好きだった。2018年の今期は続編以外はほんと大外れ、どれもノレない、特に桂正和のせいだ。あ、でも「ゾンビランド サガ」があったか、あれは良かった。(あとで気付いたが岡部 倫太郎の宮野真守だしね。)

桂正和ねぇ、て感じなんだよなぁ。ワタシらの世代だとさぁ、彼は「ウィングマン」なのですよ、そりゃぁ夢中になったさ、あの「桂正和的美少女」。以後「電影少女」な。けどさぁ、そこから別に進化したわけじゃねーじゃん? イマサラだぞ。しかもオハナシがどっちもなっとらんし。アメコミかよ今更。どっちもパクリ感が半端ないし。30年ぶりくらいで目にしたこの名前、なぜ今なの?