本日の、読んではならない

本日も少々毛色が違う話から始めるけどアトラクターフィールドは収束する。

「ffmpeg をオススメしているわけじゃないんだぜぃ」て話から。

確かにワタシのサイト、(最近特に)ffmpeg ネタを良くあげている。だからといってワタシは別に ffmpeg が好きなわけでもオススメしているわけでもない。

前からいつか書こうと思っていたんだけれど、「マルチメディアな編集という行為」ってね、ほんっと「機器を選ぶ」わけなのよ。つまり、「それに適さないどノーマル PC を買」ったら最後、 どんな豪華な編集ソフトも台無しなわけ。つまり「高価で最適なマルチメディア編集ソフト」を使いたいなら、PC を買う時点でそのつもりじゃなきゃいけない、ってこと。少なくとも「搭載メモリ 4GB」なんて、「動画編集 + GUI」がほとんどの場合完全にアウト。

ffmpeg ならメモリあまり使わんぜっ、なんてことではなくて。相手によっては平気でメモリを使い果たす。そんなん日常茶飯事。そんなであれば「編集 GUI」がもう使い物にならないことはほぼ間違いなくて、だから「ffmpeg なら少しはマシ」。

確かに ffmpeg で出来ることは膨大なので、ffmpeg で出来ることを多く知っていることは「お得」になることも多いは多いのだけれど、通常は「急勾配の学習曲線」が問題過ぎる。すなわち「やりたいことの単純さに見合わない労力」てことになりがちなわけだ。

ワタシが ffmpeg ネタをこうやってブログで紹介する意義ってのは結局は、「リッチとは言えない PC 環境」の人々向けの「足しになれば」という程度のもの。それにやはり「ちょっとしたことは必要だがちょっとしたことしか要らない」てことは多いわけだ。すなわち「高価な編集環境なんかオレには絶対いらない」て人々、ワタシも含め。そういう人々にとっては、ffmpeg は「手軽に使えるのであるならば救世主たりうる」てことなわけだね、「手軽に」こそが大問題なのだとしても。

ワタシの場合は、日常用途という意味では基本的に「説明動画を作る」のに最も良く使い、以外では例えば機械学習系の「入力バリエーション」を作りたい、だとか、あとは「英語教材自作」なんてことにも使ったりしてる。無論趣味なゾーンでは「お見せ出来ないもの」を作るのにも使う。


「お見せ出来ないもの」はエロいものかもしれないし、シュタゲなものかもしれない。

シュタゲでのこれ:

1             23話ベータ --- ゼロ1話 --- ゼロ8話
2               |                          |
3 無印22話 --- 23話 --- 24話             無印22話
4               |
5            ゼロ23話

これをスピンオフ作品や劇場版まで繋ぐとエラいことになる、と言ったが、やっぱちゃんと書いてみたくなってな。

実際に繋ぐと概ねこんな感じになる:

無印アニメ版を基準とし、無印ゲーム版を「無ゲ」としてる。
 1                                                +--------------------------------+
 2                                                |                                |
 3                                               ゼロ8話 --------------------+     |
 4                                                |                          |     |
 5                             [線]まゆり ---+    |        23話ベータ --- ゼロ1話  |
 6                                           |    |          |                     |
 7 無印1話 --- 14話 ----- 18話 -----------[  22話  ] ---- 23話 ---- ゼロ23話 ------+
 8   |          ||         | |               ||              |
 9   |          ||         | +---------+     ||            24話 
10   |          ||         |           |     ||             | |
11   |       [線]紅莉栖   [無ゲ]       |  哀心迷図          | +--- 25話(OVA)
12   |                    ルカ子END    |  のバベル          |          |
13   |                     |           |                    |   (現存在のアポステリオリ)
14   |                     |           |                    |          |
15   |                    [線]ルカ子 --+                    |        劇場版
16   |                                                      |
17   +------------------------------------------------------+

[線]は線形拘束のフェノグラム。無印に関してはゲーム版とテレビアニメ版の乖離は少ないので、無印テレビアニメの話数に対応するシーンはゲーム版にもほぼそのままあると思っていい。また、ここであげたスピンオフ作品は劇場版ディスク特典の「現存在のアポステリオリ」を除けばいずれも「オリジナルゲーム版からの派生」。なので、厳密な目で見るとテレビアニメとの齟齬が少々あるつながりもある。

ここにあげた繋がりのうち、いわゆる「本線」に返ってこないのは線形拘束のフェノグラムのまゆりルートだけ。「哀心迷図のバベル」もアナザーストーリーの一種とみなせるけれど、このまゆりルートは「哀心迷図のバベルのさらにアナザーストーリー」で、この2つはいわゆる「二律背反」の関係にあって、どちらかを受け入れるともう一方は同時には存在し得ない世界となる。シュタゲの面白さってのはこういうところにもある。

はっきりと本線に繋ぐことが出来る作品はこれらだが、ほかに「無限遠点のアークライト」はこれは「ゼロの原点になった作品」で、言ってしまえば「ゼロそのもの」。ほかの作品は、いい作品だけど繋がらないもの、もしくは「あったかもしれない」でいわゆる誤魔化すことで遊ぶ「比翼恋理のだーりん」。線形拘束のフェノグラムの岡部ルート(アルパカマン)は、これは本線への繋がりは暗示はされてはいるものの、「どこに繋がるのか」は作品からはわからない。まゆりを助けることが出来なかった未来(1年後?)を描き、最後にタイムリープで戻る、というわけだが、それが本線のどこなのかはわからない。

ワタシ個人としてはやはり「本線にちゃんと矛盾なく繋がる」作品に愛着があって、なので「線形拘束のフェノグラム」は全体を通すと釈然としないルートもある。特に「D メールを安直に使いまくる」ものにはどうしても違和感があるし、怒りを覚えるものもある。「比翼恋理のだーりん」はまぁ「そういう作品だから」ということだからいいし、好きだけどさ。


先日シュタゲの話で「乙女な気分になるけど女性向きとも言えないのでは」と言ったが、これについてもう少し考えてみた。

「向かない理由」の大きなものは説明できたと思ってはいるけれど、そうではない、もっと生理的な部分であるんじゃないのかと。

「男が嫌う女性向けドラマやアニメ」を思い出してもらいたい。ベーコンレタス…は別としても、普通、一般の「おとこども」が嫌うのはそう、「そんな男はいない」てことなんじゃなかろうか。どう考えたって理想的過ぎるし見たことないわそんな男、てことだろう。どんな作品を思い出せばいいかといえば、たとえば「花より男子」とかだよね。

で、「シュタゲな女たち」って、ひょっとして、女性から見る「んなやついねーよ」な「ファンタジー過ぎる女」なんじゃないのか、と。ひょっとしたらボクらは、「女はこうあって欲しい」という理想像を見ているのかもしれない。ポンコツな紅莉栖はともかく、まゆりはひょっとしたら出来過ぎな女なのかもしれない。


シュタゲの「リアリティ」の話で二つ。

一つは最初にこの話をしたときにしたこの話:

「アラ」はね、すぐにわかるもの、すぐにはわからないもの、結構あるよ。多分個人的に一番気になってるのはタイムリープマシンの仕組みについて。アニメだけみてるとわからないけれど、原作ゲームではここは相当頑張って考えられてて、「だけれどもそれでは機能しない」ことが結構すぐにわかる。ゲーム原作での説明のフローの個々の矢印一つ一つを分解して検討すると「いや、それじゃダメじゃん」とわかるてのもあるし、そもそもが「データだから」てのはこれは「誤解」を含んでいる。(もっとわかりやすく言えば「転送」に関する考察に重大な欠陥を抱えているてこと。「0と1だから神話」てことよ。その「0と1の羅列」をどう、何で運ぶのだい? 地上波デジタルがどう我々のもとに届くのか考えてみればわかる。)

について、ちょっと言い方が放置プレイ過ぎたので、一つくらいは具体的な指摘(ツッコミ)しといた方がいいかなーって思って。

たぶん誰でもわかるのが一つあるよ。「携帯電話で記憶データを」の部分だよ。まず、「記憶は神経パルスによる電気信号である」とかなんとか言っている。ので、すなわちこの「電気信号」を模擬すること「こそ」が、「記憶データの転送」になるはずだ。ここまではいい? じゃぁ「携帯電話」(2010年なので作中でガラケーだ)は、果たして電気信号を射出出来るデバイスなのかな? 違うでしょう? ガラケーはどんなに頑張っても「音声」か「物理的な振動」、つまり「空気の振動」によってしか人間に作用出来ないデバイス。これを「神経パルスの電気信号」にどう変換するのかの説明が皆無。そう、「出来るかもしれないし出来ないかもしれない、いや、たぶん出来ない」。

誤解してはいけないのは、「音がデジタル信号を兼ねる」話とは違うということ。実際大昔の「カセットテープ」にソフトウェアを記録していた頃を知っている人なら、「音声を記録できる媒体にデジタルデータを格納できる」ことは経験的に知っているはず。しかしながら今の話はこれとは本質的に違うのだ。「脳の仕組みに対して作用する」信号を脳に与える必要があるのだから、今の場合はやはり「音波ではない何か」への変換が必要になるだろう、と想像するほうが遥かに無難で、実現出来るとするならおそらくそういう仕組みになる。

という具合に、ホワイトボードに書かれた全部の矢印一個一個、似たような「それでは転送でけん」が見つかる。本当は一番致命的でわかりやすいのは「SERN にデータが行ってからの「カーブラックホールへの」データ転送」部分だったりすんだけどね。何さ、ネットでデータ送って LHC 操作すると「勝手に」データがカーブラックホールに飛んでくのけ? 無論ここの説明はなし。

もう一つリアリティに関して気になっているのはやはり「真帆の日本語問題」だったりする。

紅莉栖は9歳までは日本在住の、つまりはれっきとした日本人。真帆は「アメリカ生まれ、アメリカ育ち」ということになっている。国籍については語られず、また、沖縄ルーツであることも語られてはいるものの、何世なのかまではわからない。

こうした「アメリカ生まれの日本人」の日本語が堪能なことそのものについては、そう驚くことでもない。日本人街で暮らしているなら日常語は不自由ないであろうし、両親が日本語を話すなら、これも日常語としての日本語は、そうネイティブな日本人と遜色ないものになりうることも理解できる。

実際真帆の日本語のリアリティでの問題は実は「専門用語」だったりする。そもそも「アメリカ人として暮らし、アメリカ人としてアメリカの研究所に所属」するのであれば、「専門用語」を駆使しているのは研究の世界でのみだろう。まさか両親と「大脳新皮質が」なんて会話はすまい。つまりここには「日本人街」はないし「両親」はなく、専ら英語話者とのみ専門用語をやりとりしているはずなのだ。だとするなら「専門用語の日本語訳に詳し過ぎる」。かなりしょーもないツッコミだけれど、だってさぁ、「一般の日本人」なら「海馬傍回」なんて言葉、日常じゃねーぜ? そんな言葉、いつどんな必要性に駆られて覚えた? 実用的には英語でだけ知ってりゃいいはずなのだ、少なくとも真帆にとっては。(対して紅莉栖はそうではない、というわけだ。)

てな具合にね、「よくよく考えれば気になるアラ」は結構あり、そして「そんなことはどうでもいい」であって、これらアラ全部足しても「一点減点、なので99点」てこと、なのだわ。


ついでなので、そのアラでもう一つ別の切り口から気になることについても言っとく。

一番最初に「アトラクターフィールドは収束」といって始めたけど、これに少し絡む話。

シュタゲってさ、「想定科学アドベンチャー」というだけあって、「科学的であろうとする心意気」はなかなかのもんで、リテラシのない人なら何一つ破綻のない完璧な SF にすら見えてしまいうるほどの「出来」ではあるわけね。

「その割には」。ちょっと言葉の使い方でたまに「ワタシが一番気にするタイプの間違い方」を、結構頻繁にするのだよね、この作品。頻出は「相対性理論により」。これが「説明される」に繋がるなら文句はないけれど、この作品の、原作者なのか脚本家なのかは定かじゃないけれど、「説明」と「事象」の混同を頻繁にやってる。

なので、まぁそりゃぁそうなんだけどさ、原作者なのか脚本家なのかわからないけれどとにかく彼らは「正真正銘の「アマチュア」科学者」、てことなわけよね。このことは落胆かというと、まぁ別にそんなことはなくて、「アマチュア科学者の可能性を示すものなのだ」とも言えるわけで。

「相対性理論」は「事象の説明」ね、これはいいかい? だから「相対性理論によって起こる」という言い方はこれはオカシイのである。理論によって起こるのではなくて、起こったことを理論で説明するの。いいかな? ゆえに「アトラクターフィールド理論によって事象は収束する」という言い方は、すんごくヘン。これは「事象が収束することはアトラクターフィールド理論によって説明される」でないといけない。もしくは「アトラクターフィールドが収束する」でいい。

そしてそれでも、これだけ文句を言いながらも、それでもやっぱり 99点なのだ…、て話はもういいか…。