ちゃんとわかるような見出しにして主張すべきことなのかもしれんけど、どうにも目立つタイトルには慎重になってしまってなぁ。読んで欲しい場合はいいんだけれど、今ここで言いたいことはそうでもないので。
何かっつーとさ、ここんとこ立て続けに上げてきた ffmpeg 関係の説明動画たちの話。(これ、これ、これ、これ、これ、これ、これ、とこれ。)
なんで英語で説明してるかなんてのは、ひっそり書いたりもしてるけど「貧乏症」の一味。つまり「どうせ本気出すなら世界中のエンジニア(など)がハッピーになれた方がええやん」て発想なわけよ。ワタシとしても英語の勉強がてら、にもなるしね、てことなのだわ。
だがしかし。やっぱジレンマなわけよ。英語で書いてしまうことによって、「日本人を振るい落としてしまう」ことに対して。
ちょっと先に「英語」関係なく非常に根本的な話を。
つまり。ワタシがこうやってブログで情報発信する根本的な動機というのがある。これまで言わないようにしてきたんだけれど、本当は「ある特定のスキルレベルの人々を救いたい」てのが真の動機。ターゲットは要するに「技術格差の激しい「下」を抱えて苦しんでいるエンジニアたち」。つまりは「ワタシに似た人」。そしてその「助け方」は、そうした人々がワタシのものを読んでくれること、とは限らないし、むしろそうでない方が良いかもしれない。そう、「底辺」の底上げになるような役立ち方が出来ればなぁ、と願っているわけだよ。
「ワタシに似た人」がどういう苦労をしているかは、「ワタシに似てない人」には絶対にわからない。「エスカレーター式にスキルは上がるものである」と無垢に信じ続ける「底辺たち」に囲まれ、「出来る便利な道具」としてコキ使われ、「底辺」たちの尻拭いを「誰にも知られるともなく」続け、ならば教育だ、と突っ走れば恨まれ・憎まれ…。
「底辺当事者」たちは決して自発的に改善しようとはしない。なぜなら「エスカレーター式にオレはすげー」からだ。これが世に言う「プライドが高い」。ゆえにこちらが改善を求める行為はすべからく拒絶される。これが「優しく言う」かどうかとは全く関係がない。「教えられようとしてる」ことに対する拒絶反応が働くからである。なぜなら「エスカレーター式にオレはすげーからなんで教えようとするのだ」。そして「なぜ教えてくれなかったのだ」とめでたく怒り狂うわけである。なんて便利な性格なんだろうと思うが、彼らはその自己矛盾に対しては十二分に寛容なので安心すればいい。つまり「馬鹿につける薬はない」。
なので、「ワタシ」を救いたいなら、その「バカども」を救えるのが本当は理想だったりするわけだ。だけれども、人にはやはり向き不向きがあって、ワタシは「中級が上を目指す」くらいのところを救うのは得意だとしても、自分とかけ離れた格差の下を、対面以外で教えるのは非常に不得意だ。そりゃそうだ、誰だって「わからなかった頃のことは忘れてしまう」のだから。対面で顔色見ながらでないとそういうことは普通出来ない。
だからワタシが、(その本来の思いと乖離していたとしても)現状「救える可能性がある」のは、最低でも「スキルがエスカレーター式で上がるわきゃねーじゃん」とちゃんと理解できていて、その努力も出来る人々、ということになる。そう、努力しない相手を救おうなんて、やっぱり不可能なのだ。たとえ「そうしなければワタシが救われないとしても」。
しかるに、ワタシが英語で情報を発信し、「ついてきてくれる人」だけを救う…、てことになっちゃってるのかいね、てことな。なんだかつまりは「バカどもフィルター」として機能しちゃってたら、それはかなり意図するものじゃないなぁと。
そもそもねぇ。また「根本的な話」だけれど。本心からわからないことがあるのだよ。ひとつ、「答えがないのが当たり前」という感覚を持ってない若者が多すぎることにとにかくビックリする。ひとつ、「英語が読めないのは当然だし読まなくていい」と考える「エンジニア」が 0.01% だろうがいればそれそのものがそれだけで不可思議極まりないのに、どうやら事実はその何千倍も多いらしいこと。「答え」なんて自分で見つけるもんだし、「英語の情報のやま」から探り当てるのなんか、「楽しい」ことなんじゃないのかね、と、ほんとだよ、ほんとに本心でそう思っているわけだ。
これはリアルな話なんだけど、「英語のまま引用するとは何事だ、どうして訳してくれないんですか」と怒り出した後輩がいた。前にほかの話で「10の10を完璧にするのと10000の8000を完璧にするのとの差」なんて言い方をしたけどさ、その後輩がまさにそれでな、「ワタシが(たった10の)全部を完璧にしてるんです、あなたはどうしてそれをしないんですかっ」だとさ。ワタシがそいつの何百倍も作業をしてとっくにキャパ超えてるなんか想像しないししようともしない。そういうね、「冷感」な若者が多いってことよ。
つまり何が言いたいかといえば、「本来ワタシの理想とするところ」まで考えるならば、英語で発信するだけじゃなく日本語訳もつけないと「いけないんですかぁ?」と悶々としてしまう、てこと。きっとそこまでやれば、ワタシが救いたい人々のために「バカを救える」ことにも繋がる。けど「ワタシは一人しかいない」わけであって、英語も日本語も、なんて、体力が持たない。だから現実問題出来ない。
というわけで、本来「貧乏症」だけでやってる行為が、「日本人を排除」なんてことになってたら切ないことだな、だからといってその予防策を取る体力もないよな、と。(ちなみに今回の一連の ffmpeg ネタだけでなく Pillow のこれもそうね。)
暴言覚悟での「本音」ぶちまけるならきっと「英語読まないようなヤツなんか逝って良し」てことだろ? けど現実問題これは「本当に暴言だし極論」なわけだ。なぜなら隅の隅々まで「出来ないエンジニアが蔓延」しており、むしろ「出来ない方が当たり前」だからだ。無論その「出来ない」烙印押される側は無自覚であり、未来永劫改善の見込みがない者たちさえもはや「多数派」である。
業界はそのことに多くは無頓着なままだ。本当に危機感を抱いている人々は非常に限られている、悲しいことに。どうにかしないと、と思うが、ワタシの力ではやはりどうにもならない。
そういえば「人工知能が人から職を奪う」なんて SF じみた恐怖を、「IT エンジニア」たちが「オレたちには無縁だ」と思っているのもこちとら哀れに思えて仕方がない。それこそ「ソフトウェア製造」なんかそのうちある特定の分野なら AI がこなせるようになると思うぞ。というかむしろ「IT 業界」が一番乗っ取られるのが早いと予測する方がわかりやすいはずなんだけどねぇ? どうもこの業界の人たちの脳みそはどこかおかしい。
なんてことをずっと考えながらここんとこずっと英語書いてた、って話。無論書いてるワタシはかなり楽しんで書いてるんで、ワタシの精神状態を心配してくれた人はご愁傷様。今言ったような話は「ジレンマとして感じながら」って言ってるだけであって、苦痛を感じながら情報を発信してるわけじゃない。都度都度は毎度ワタシは楽しんでいるのだ。