良い子は読んじゃだめ

なんか色々気が乗らない周期なのよね、単に。

ちょっと前に書いた、「感情のほうが理性より強い」の話を、個人的経験(現在進行中)とともに。

昨日スターウォーズの話を出した際に実はこの話、頭によぎってたんだけど、昨日の体力では書こうと思わなかった、のだけれど。つまり…、ワタシは実は「スターウォーズを、感情的な理由により観れなくなってしまったヒト」なのだ。

スターウォーズの話の前に、もっとわかりやすい「北の国から」の話からしようと思う。

「北の国から」についての評価は人それぞれだろうと思うし、ダメなヒトは全然ダメだろうと知ってる。けど、「ワタシは北の国からがダメなヒトだ」てことではないのがね、まぁハタからみたらウザいと思う。もうこれね、「高二病」言われても仕方ないようなしょうもない理由でダメになっちゃったんだもん。

「北の国から」は、多分ワタシが中学か高校くらいから、大学学部くらいまでの時期だったと思う。そして、「北の国から」に全く何とも思っていないワタシ、が、「北の方の大学」に入ってしまったもんだからさぁ大変。寮に入ったんだけどさ、寮の連中も、クラスの連中も、サークルの連中も皆、およそ「内地」から来た学生の多くが、「北の国から」(か「動物のお医者さん」)に憧れて北海道りました、ってのばっかりだったのね。もうね、そうでもないと思ってたこっちからしたらさ、なんかもう、「うぐぅ、意地でも観てやるもんか」て気分になりますってば。

ちなみに「エヴァンゲリオン」もこの大学時代がリアルタイムで、当時(個人所有としては)テレビ自体持ってなかったこともあったけど、「北の国から」ファンに感じるのと同じような圧を感じてたのは確か。「観なくても、観てないし、けど観れば好きになると思う」と当時から思ってたし、今でもそう思ってるけど、時機を逸しちゃったあとで、後追いでわざわざ能動的に視聴しようとするほどにはならんもん、なので、未だに観てない。

でスターウォーズの話。こっちは「北の国から」ほどわかりやすくない。けど同程度にバカバカしい。

たぶん小学校高学年か中学生くらいかなぁ、当時ってたぶん今で言う「4~5、6」あたりの時期だと思うのね。違う? でそれらのどれか、多分4だと思うんだけどさ、これのラストがさぁ、「お子ちゃま」だったワタシには許せなかったんだよね。

当時、こういう「シリーズもの」というか「連作前提の映画」というものを、少なくともワタシは一つとして知らなかったし、今でもスターウォーズ以外はほとんど記憶がない。そーです。知らなかった、かつ、子供(のくせにヘンに大人びたがる面倒くさい子供)だったワタシは、「続くってなんだよ続くって」に怒り新党だった、と。

で、こうして「イヤになった」後はもうさ、理屈っぽく嫌いな理由をまくしたててたわよ。「こんなん SF じゃねーし」と。「こんなん SF じゃねー」自体は子供にしちゃまぁまぁの洞察だったりもすると今でも思うけれど、大人になるにつれ色々な視聴体験をするにつれて、子供だったワタシには「ぼうず、そいつぁ違うぜ」と言ってやりたいと思うくらいにはなった。

SF・ファンタジーって、大きく分ければ二つあって、簡単に言えば仮説の延長なのか現実の延長なのか、てこと。前者はとにかく違和感を楽しむもの、後者は虚構の現実感を楽しむもの。どちらもちゃんと SF でも、スターウォーズのような後者タイプは前者ほどのカタルシスが得にくいので、これを「SF なんかじゃない!」と言い捨てるのは結構わかりやすかったりする。ワタシが陥ったのはまさにソレ。これはガンダムについての大人理解が出来るようになってきてから、やっとわかるようになった。

そういうわけでワタシは今でもスターウォーズをまっすぐ観れない。ワタシが好きなカタルシスはない、てことは事実だしな、みたいなヘンなプライドも今でも邪魔をしてくるし。

こういうのって、心当たりない? 誰でも一つや二つはあるんじゃないかと思うんだけど。


ガンダムの話をちょっとしたついでに。関内デビルで北村 匠海(DISH//)もガンダムファンで驚いた、てこともあるし、まぁ「今でしょ」かなと思うところもあるし。

ワタシも(ほぼ)リアルタイム世代としてファーストガンダムは好きだし評価しているけれど、「後追いでのファン」とは違った目線もないではないので、リアルタイム世代がこれを当時どう受け止めたのか、ということをば。

まず、ファーストガンダムは「メカもの」なのかどうか、についての話から。当時小中学生にどう受け止められたのか、については、これは、ガンプラが大流行したことから明らかなように、皆がメカに夢中になったのは事実、これは事実、間違いのない事実。

けどね。「メカには全然惹かれてない」視聴者も結構当時から多かったと思っている。ワタシがまさにそれで、周りの友達がガンプラに夢中になっているのを多少羨ましくも感じつつも、メカには全く興味が行かず、純粋にドラマ部分だけを「本気で」楽しんでた。こういう友人を周りではあまり見なかったけれど、多分別に少数派ではないと思う。

もう一つ。よくガンダムの魅力を伝えるのに、「勧善懲悪でない」ことが挙げられるという特徴があるように思う。もちろんこれはそうではあるけれど、そうじゃないよな、というのも同時に感じる。というのも、「勧善懲悪が嫌われる」風潮そのものが、まさに当時の(そして今に続く)「ブーム」だったから。これは時代劇や日本映画の流行の歴史を調べてみたらその流れが見て取れるので、興味があればみてみるといい。

ファーストガンダムについてはワタシの場合は、アムロが女々しくて幼稚でバカだったところに惹かれてたと思う。あれほどに醜い主人公だからこそ自分を投影出来るのだし、「仲間」の存在が心強いのだ。(「この軟弱もの!」と言われると、「そーだそーだ」よりも、「うわぁゴメンナサイ、セイラさん」と思った子供は多いはずだ。…、と信じたい。)


お待たせ(?)、宝石の国のはなし。

ボルツの回、であるとともに、ダイヤモンドの回、だったわけだな。

9話が宝石の国世界の第一フェーズのクロージングとして、第二フェーズのオープニングとしての機能を担っていたのだとして、今回の10話は第二フェーズの本格始動、という感じだった。9話にみられた感傷はなく、本格的に主人公機能を果たし始めたフォスが、当たり前のように主人公として機能し始めた、という感じ…なのにも関わらず、フォスの存在感が今回薄かった…。

今回みたいなのを「3DCG ならではだっ」と褒めればいいのかな。という点をみれば、若干ダイヤの動きで(悪い意味で)気になる点はなかったでもないが、なんというかこの作品、劇伴が非常にうまく機能してて、盛り上がるとこではやっぱし盛り上がる。絵的にはなんか、今回は戦闘してるシーンよりは、学校内で犬型月人から逃げるボルツ・フォスのくだりが一番美しかった。