永遠のテーマなのかもしれんこれは。
たとえば番組そのものは積極的に避けるほどでもないが、どこぞの落語家の顔も声もみたくないし聞きたくないので内容だけ見たい場合はミュートし、映り込んだら目線をそらすかチャンネルを変える…、てくらいに、精神に支障をきたしかねないほどにイヤなもの、てのは、まぁ誰でも一つくらいはあると思うのよね。
先日は twitter の話をしたけど、今日は youtube の話。ちょっと前までは、不完全ではあってもこれが出来たのよね:
たとえこれで「Don’t recommend」にしても、検索結果からはブロック出来なかったので、この機能は「存在してないに等しい」というほどに意義のない機能ではあった。だけれども一応「そういうことを思う人がいることに答える機能がある」という状態ではあったわけよ。たとえるなら「コンプライアンス準拠を言うだけなら誰でも出来る、が言うことだけでも大事」てことさ。なんだけどさ、今、この「Don’t recommend channel」機能、なくなっちゃってるんだよなぁ、これはどうした意味か、どういう意図か?
そもそも論を言うなら、「見たいものだけ見ればいいというのは危険」というのは、いわゆる社会心理学的な目線での意見。だから「ブロック出来ないこと」についての肯定的な見方も出来ないでもない。公平・中立でいたいなら、確証性バイアスを増強するようなプラットフォームに対しては常に警戒心を持っているべきである。
だけれども、だ。「見たくない」ことが否定され、「見るべきだ」だけが肯定されるのなら、それって公平? 「プロパガンダ」「同調圧力」が正義で、それを否定するのが悪だ、てか? そういうことにならんか? ならんのか? 難しい問題であることは認めるよ、だけど、今のこの状態は、やっぱり健全なものには思えない。
まぁなんというかワタシの場合は、twitter も youtube もどちらも生活の一部にはしてないし そうするつもりも未来永劫ないので、気に入らない場合は「twitter そのもの/youtube そのもの」を出来るだけ使わないようにするんだけれど、世間的にはそういうわけにはいかんわけで、もうちっとなんとかしてくれんかなと思う。
2021-09-27追記:
数日前には気付いてたんだけれど、放置するか迷った挙げ句、一応書いとくことにする。上で「出来なくなった」と言ってること、なんだか期間限定だったみたいで、出来るようになってる、今。
それよりも、だ。どうも最近チマチマ細かく変えてる最中なんだろうなぁ。ちょっとずつちょっとずつ変わってってるんだけれど、致命的なのが、単体のビデオ終了後に自動で次のビデオを再生始めてしまう仕様ね。あのなぁ…、こんなん、誰が望んだんだ?
youtube のユーザってさ、「見たいものを見たい」のではなのかね。なんで AI 判定レコメンドが視聴強制されることをユーザが喜ぶと判断した? それは「オレが決める」ことであって、お前が決めることではない。これ、制御でけんかなぁ? かなりキツい、これ。わかると思うが、自分が今興味があって集中的にみてるものによっては、「最も嫌いで一生みたいと思わないもの」が集中的にレコメンドされてしまうことは確率的に決して低くなく、そうした場合に、意図しないと「その嫌いなもの」を強制的に視聴させられてしまうのだ。