ん…Google。

ぷらすじゃなくて。

「読むな」系のネタも読んでくれている奇特な人ならわかる通り、ここ半年くらいずっと「シュタゲ」づいてて、なので「John Titor」も気になっている。

この「2036 年からのタイムトラベラー」を自称した実在の(少なくとも電脳空間上では実在の)人物の言う未来が本当で、なおかつ日本語版 Wikipedia 記述が正確なら「タイターが2001年に来たとき新聞などで見た企業(デル、グーグル、マイクロソフトなど)は、そのどれもが存在していない」ということになる。

「タイムマシン」「タイムトラベル」なんて、無論現在我々が想像しうる範囲内で考えれば「荒唐無稽」なトンデモでしかなくて、こんなもん信じるなんてっ、てことなのだけれど、それはそれとして「未来予想図」を描くことそのものは有用で、そのとっかかりとしてタイターの言うことを信じてみるのも面白い。

あと 17 年以内に Google が消滅している、というのはなかなか想像しにくいけれど、そういう意味だと、一時期日本の銀行の多くがなくなっていったのを思い出せれば(「北海道拓殖銀行」とかさ)、「ないこともない」のかなぁと思う。ある日突然消えたらどうしたらいいか路頭に迷いそうだよね、と思うけれど、段階的に少しずつ消えていくのなら、きちんと予兆をキャッチできるのならば、きっと皆なんとかするのだろうね。

なんであれ、ここんとこ「個人的なもの」の置き場については色々考えることが多い。「公開」したいものだとこれはあんまり困らなくて、ワタシの場合は GitHub、BitBucket や youtube、それにこのブログを使えばいいだけのこと。そうでないものがさ、特に「電子化した個人的なもの」が、こういった将来のことまで考えると、「大々的に依存する」のには臆してしまうわけだ。Evernote なんかがそうだよね。この会社はこのことについて意識的で信頼できると思っているけれど、だとしたってそんな先の未来まで約束されているとは思わない。

まぁこういうのは結局のところ「そんときはそんとき」で都度都度なんとかしていくしかないのであろうなぁ。