google 翻訳の精度について書くのは三度目か

若気の至り今は昔

「毒を喰らわば皿まで」を「If you eat poison, even a plate」と訳出してしまうのは人間が行う繊細な訳とは較べるとヒドい翻訳だと言えるが、そもそも「人間と比較して」と言えるようになってることそのものが既に驚異的。「Until the dish if Kurawa the poison」で笑える日はもう来ない、かもしれない。

「google翻訳さえあればいいや」はここ最近ますます増長していて、コマンドラインから翻訳起動したいなとこんなスクリプトを書いて:

1 [me@host: ~]$ chrometabopen.py --mode=translate_google `cat`
2 Chrome以外のブラウザが嫌いでない限り、通常は標準ライブラリ「webbrowser」を使用すべきである。

python スクリプト内のコメントや docstring を英語で「おもむろに書き始めて」からその「ワタシのダメ英語」のチェック(というか推敲)のために google 翻訳にかけたいな、なんてのをよくやってて。もうね、このネタを最初に書いた4年近く前には「2、3回往復するだけで満足できるものにな」っていたのが、今や、ほとんど一発目で(少なくとも直訳的な意味では)ほとんど満点の翻訳が返ってくる。

「2、3回往復」で思い出した。あ、4度目だ。「御堂筋線」の話の中で機械翻訳について触れてて、そこで「Google翻訳はまだまだ主語を間違いまくるし、否定形がやたらに苦手」であることを指摘して、「だから機械翻訳から得られた翻訳を評価できないなら使っちゃダメ」みたいなことを言ったんだよね。

そう、そのおととし時点ではまだワタシの認識は「Google翻訳はまだまだ主語を間違いまくるし、否定形がやたらに苦手」のままで、たぶん実際に「2、3回往復」してたと思う。テクニックとして「元の日本語での言い回しによる工夫」を駆使すれば満足いくものになる、てことだったし、ヒドいときは「かっちょいい部分」だけを抜き出して、全文は自力で、とすらやってたよ。

や、もうね、おととし時点から比較してもかなり精度があがってるんではないかな。とりわけ、「日本語は難しい言語である」ことの主犯の「主語の省略」への対応力の進化が凄まじいように感じる。


なんだろうねぇ、Google って、こういう「下支えする技術」の貢献が凄まじくて毎度感動・感謝するんだけれど、「だったらあの UI はなんなんだ」と思うよほんと。Google が作るものの UI は IT 界隈を破壊している、と思う。こういうのが標準であってはならんと思うが、いかんせん人目につきすぎていて、ユーザがそういうものだと諦めてしまうのが問題。Google は自分で UI を作らずに、外注したらいいんじゃないか?