今日も読んじゃダメ話TT0

「TT0」でピンと来る人もいたりするんだろうか。

概ねいつものシュタゲ話なのではある。


これまでシュタゲ話の中で、「科学的・技術的な部分で穴が多い」ようなことを結構書いてきた。これに関して、「なのでその部分では楽しめてない」…、と思われたらやだなとちょっと思ってさ。

違うんだよね。「かなり詳細に検討されているものに対して、大きな間違いや検討不足が結構簡単に見つかる」=「ダメだ」てことではないんだわ。なんならこういうことさ: 「てことは、その間違いや検討不足を埋めたらよもや」。そう、「なんならもう少し頑張れば出来ちゃうのでわ?」というスレスレの感じが実に面白いのである。

「浅くしか検討されていない作品では、「根本的なツッコミしか出来ない」」なわけですわ。けれどもシュタゲはもっと掘り下げた部分でのツッコミが成立するので、そうしたツッコミを入れる思考作業そのものがめちゃくちゃ楽しくてな。(ただしテレビアニメ版は 6~9割くらいは省略されてて印象が全然違うので注意。)

普通の出来の SF だとさ、「あぁ SF だね、夢物語だね」で大抵終わるんだけれど、シュタゲの場合、「なんなら専門家が検討し直せば実現可能性が見えちゃうのでは」という期待さえ出来てしまう。


シュタゲ的なタイムリープマシンに関して本当に実現を目指せるかどうか、てのは、作品内でも言及されている通り、「記憶と意識」(と世界線と「主観」)の問題があるので、これはなんというか現時点の我々にはまさに「想像もつかない」。待ってればいつか誰かが実現してくれる、てな生易しいもんではなかろう。

そうではなく「タイムマシン」について、仮に、もしも、2000年に実在した「タイムトラベラーを名乗った John Titor」が全て真実を語っていたのだとしたら、15年後に CERN (と GE) が完成させることになっている。

John Titor なんだけどさぁ、ワタシはあんまし記憶なくてなぁ。おぼろげに誰かが騒いでたような微かな記憶がないではないんだけれど、少なくともリアルタイムでワタシが興味を持たなかったのは確かで。2000年だから富山に行った年か。うーん、確かにかなり忙しい時期ではあったか。

なのでまさに「いまさら」John Titor に関する情報を集めてみようなんてことを思うわけなんだけれど、これがね…、まぁやりにくい。「酷く読みにくかったり使いにくかったりする」サイトしかない。要するにアレですよ、「2000年品質のサイトデザイン」だとかさ、覚えてる? あれ、あんなんばっか。読む気失せるわけよね。ここなんか特にヒドいよ。まさに「2000年にタイムトラベル」してる気分になれる。なんだかんだ、やっぱし最近の WEB サイトてば、読みやすいよ、昔のを見かけるとほんと実感する。

John Titor ものについては、やっぱし書籍を当たったほうがいいんだろうなぁ。

あ、「TT_0」てのは、John Titor 本人が BBS や Chat で名乗ってたアカウント名の「TimeTravel_0」の省略形。彼の相手をした皆が「TT_0」と呼んでいたらしい。

要するにね、「あわよくば信じようとしてみたい」んだけれど、こんななんで、よーわからんのよ。この「人物」が本当にタイムトラベラーだったとするなら、間違いなくワタシが生きている間にタイムマシンが作られることになるわけで。まぁあと 15年生きれてればの話だけど。


「amadeus」の話。

タイムトラベルの話とは違って、こちらの方が「想像しやすい」ものではあってだな、なので、「いつになればこの水準の AI が出来るだろうか?」と考えるわけだ。今のところ「2045年シンギュラリティポイント」論が優勢みたいだけれど、素人目にも「なんかそんくらいっぺー」という感じは確かにする。ただこういうの、例えばムーアの法則が近年当てはまってない例を見るまでもなく、何かを突破出来なくて頭打ちすることもあるからね、「なんともいえない」てのが本当のところなんだろう。

テレビアニメでは省略されたのだけれど、ゲーム版では「ちょっとだけ詳細」なシステム構成の言及があって、描かれた範囲だと、「ニューラルネットワーク」「linux」「スパコン相当のスペックのサーバ」なんだとさ。

で、この「描かれた範囲で」の話で二つ。

「ニューラルネットワーク」なのね、と。まぁそうなんだけどさ、一番妥当な選択だろうとは思う。というかこいつの歴史、知ってるか? Wikipedia 見れ。知らなかった人はあまりの歴史の古さに驚くと思う。実はゲーム内で真帆も言ってるのだが、「コンピュータの歴史とほとんど同じ」なんだよね、人工知能の歴史って。

もう一つが、「スパコン相当のスペックのサーバ」に関してなんだけど、テレビアニメ版で「おや?」と思ったんだわ。テレビアニメ版オリジナルの改変で、「amadeus」が 2036 年まで延命しているのだけれど、「スパコン相当のスペックのサーバ」なのだとしたら「かなり無理ないか?」と思ったわけね。

「ストラトフォー連中(レスキネン陣営)に amadeus のあったサーバは掌握される⇒けれども amadeus システムはダルのハッキングで救い出す」のはまぁ許すとしても、だな、「救い出した amadeus システム」を、いったいどこで稼動させてたのだ? 2036 年時点ではまぁ、ワルキューレ陣営の設備が整ってるのはわかる。けれども、2011年時点ではんなもんはないわけで、「もともとのヴィクトル・コンドリア大学のサーバで稼動させ続ける」んでない限り、稼動なんかさせられんのではないのかと。して、「そこで稼動させられ続けることが出来た」んだとしたら、シンプルに「ストラトフォー=無能」でしかなくて、なんぢゃそりゃぁ、と。まぁ「物語のためのご都合」だよ、よくある。けどこれは「シュタゲ」だからさ、ちょっとこの「わかりやすすぎる穴」はちょっと多めに気になった。

そう、「いつ出来る?」に話を戻すと。「amadeus そのものズバリ」のものが実現が「目指される」かどうかはわからんけど、それを目指すとして、現時点で、「作品で説明されたシステム構成の本質部分」のうち、どれが一番大変だろうなぁと。

これについてはほんと良くわからんけれどもさ、やっぱし「プロセスと構造が同じ」そのものが一番技術的には最後まで残りそうな気がする。記憶のスキャン、データ化は案外早いような気がする。特に最近は「ディープラーニング」という奥の手があるわけで、パターン解析は「今でもやってやれないもんでもない」気もしてるし。そして、「プロセスと構造が同じ」が出来ない限りは「取り出してデータ化した記憶の利用」も出来ない、ということになる。

「3D CG 部分ですらとんでもない」と言ったけれど、これも要するに問題の本質は「プロセスと構造が同じ」そのもの、すなわち、「脳機能と筋肉への指令、そしてその指令を受けた筋肉の動き、骨の動き」を(性能のための省略はするにせよ)忠実に模擬しないといけない、てことね。とはいえ、それこそ「指令」をシンプルなコードセット群にエンコード出来るのであれば、「指示に基いて動きを模擬する CG」というのは案外そう遠い未来でなくても出来るのかもしらんね。(saya を例にしたけれど、たとえば saya への指示をする言語にコンバートする、てことである、たとえば。)

要するに、実は「真帆が作り上げた部分」というのがおそらく技術的にはとんでもないことで、「紅莉栖が成し遂げた天才的偉業」は実際割と近いうちにすぐにでも実現出来そうな「そう大したことでもない」なんじゃないのかなぁ、とワタシは思うんだけどね。あんましこういう言い方してこなかったけど、ずっとこれは思ってた。「実は真帆の業績の方が数万倍も凄いんでねーの?」って。まぁワタシは脳科学の専門家でもないわ人工知能の専門家でもないわ、3D CG の専門家でもないわけで、なんら断言できる材料なんか持ってないんだけどね、「なんとなくワタシの感覚は正しいんじゃないのかな」という自信だけはあってな、根拠はないけど。


シュタゲの話を離れる。

実は昨年11月くらいから「シュタゲばっかり」観るモードに突入してしまったので、10月期のアニメやドラマ、結構いろんなヤツを、7話あたりから塩漬けしてたんだよね。いい加減捌くか、と。

「色づく世界の明日から」と「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」について好印象だったことは言ったけれど、実はそんなわけで最後までまだ観てなかったわけ。

いやぁ参った。「色づく世界の明日から」は「想像以上に良かった」。無論、中断する前だって、ちゃんと「これは良いものだ」として観てたよ、けどさ、その中断した後から、まぁ泣いたわ。もともとが「時かけっぽい」と思いながら観てたけど、最後まで観て、「やっぱりどこまでも時かけ的」だった。これまで P.A.WORKS 製作のをいくつか観てきたが、一番好きだ。(「時かけ的」はこれは間違いなく「確信犯」だと思う。舞台が長崎なので、そもそも「尾道」に滅茶苦茶似てるんだよね、だから絵面も相当似る。)

で、「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」も、「色づく世界の明日から」より「ほんの少し劣る」程度の、「かなり良かった」。終盤の展開は、観始めた最初の頃からは想像もしなかった。

で、両方観て思ったんだけど、というかリアルタイムで観てたときも感じてたんだけど、なんか 2018 年て、やたらに「タイムリープもの」、極論するなら「時をかける少女っぽい」作品がなんか多かったんだよね。シュタゲゼロはまぁ「時をかける少女」とは全然世界観は違うけれど、「青ブタ」も前半ちょっとだけタイムリープものがあり、「色づく~」は、隅々まで「時かけ」。「色づく~」は「魔法もの」なのでどちらかといえば SF な「時かけ」とは違うんだけれどもね。

「時をかける少女」は、映像作品としてはまぁ古い方と新しい方があるけれど、大林時かけと細田時かけ、どっちだと思ってもらってもいいよ。多分一般的には細田版の方がより近いだろうけど、別に大林晩だって全然遠くない。

ちなみに、ワタシはハードディスクレコーダに「ずっと残しておきたい作品」とそうでない作品があるんだけど、「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」「色づく世界の明日から」のどちらも、「残さなかった」。これは「残すほど好きじゃないから」てことではないんだよね、これがまぁ説明しにくいんだけど、「一期一会で出会って大好きになって」というものでも、「短期間の間に何周もしない」ものとなると、やっぱりディスクには残さない。ともに「数年後にもう一度観たい」ものだけれど、今のシュタゲ病のように「短期間に何度も」は観返そうとは思わないわけなのだ。けど特に「色付く~」は、ちゃんと心に残る作品になった。5年後は間違いなく覚えてるし、10年後もひょっとしたら覚えてられるかも。

ところで P.A.WORKS なんだけど、ちょっと色々続けて観てきて、なんかね、「ちょっと崩れてるキャラクターデザイン」が魅力なんではないのかな、と思うようになった。静止画だと結構ブサイクだったりすんだよね、なんかそこがいい。というかエンドロール観なくても最近「P.A.WORKS 節」がわかるようになってきた。

あと「青春ブタ野郎」の方でも思ったことがあって。ラノベ特有てのかなぁ。このタイトルよ。2017年末からのワタシのアニメ視聴態度てのは「とにかく録画だけはしてみて、早送りでもいいから一度は流してみる」なので、だからこそ引っかかってきたけど、こんなん普通は「タイトル観ただけで避け」そうだってば。最近の作品の傾向だよなと思う。観たそうになるものなのか、タイトルだけじゃ判断出来ないんだよね。こうした傾向は今後もしばらくは続くんだろうとは思うけれど、もう少しなんとかならんのかいな、と思う。


「時をかける少女」からの流れでシュタゲに戻す。

シュタゲを観ながら「時をかける少女」を思い出していたか? これは「多少は」。そりゃそーでしょ、タイムリープものとして、これを頭からまったく除外してなんか観れんよ。

な話から「オマージュ」の話へ。シュタゲ作者も、当たり前だが色んな作品へのオマージュを仕込んでる。直接的なものはそんなに多くないけれど、「時かけ」は、「D メール」命名のくだりで「時をかけるメール」なんてのが。ダルだったか。あと同じシーンでまゆりは「デロリアンメール」と言ってた。これは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ネタね。(つーか、まゆり、デロリアンメールの前は「バック・トゥ・ザ・メール」言うておる。)

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」はシュタゲと比較するような作品じゃない、なんてことを結構前に言ったけれど、そりゃタイムトラベルものとして、これをはずすなんてありえないわけで、ほかにも「1.21ジゴワット」ネタ、あと SERN へのハッキング時に、SERN エンジニアが「ロバート・ゼメキス」(作品内では名前変えてある)を持ち出してる描写がある。

無論「青くて猫耳な机の引き出し」へのオマージュも忘れられていない。確か2、3回ドラえもんオマージュがあったはず。


「作品内では名前変えてある」で思い出した。

シュタゲは、秋葉原界隈の企業や団体の協賛が多くて、それらは「実名で」作品内に登場する。この企業が結構な数なので、知ってれば、風景描写も「本物の秋葉原」そのものに相当近かったりする。一番目立つのは「ゴーゴーカレー」と「牛丼サンボ」だろうね。

のだけれども、な話。

その「協賛してない企業や団体」の名前の変え方がね、結構笑えるものが多かったりする。「岩丸電器」とか秀逸だよな。ソフマップはなんになってたっけ? あ、「UPX」は、本物は「UDX」ね。

あと、ゲーム版とテレビアニメ版で同じじゃないのもある。一番目立つのが JR。なんだったっけか? 「NB」とかじゃなかったっけ? テレビアニメ版。いずれにしてもテレビアニメ版とゲーム版で違う。

なんにせよ、何周もするほど観る際の楽しみの一つだったりする、この架空の企業探し。


秋葉原なぁ。シュタゲの岡部とは違って、ワタシにとっての「本当の秋葉原」ってやっぱし「電脳街」だった頃、なのだよね。だから、「萌え化」後はほんとめっきり行かなくなった。こえーんだもん、だって。

あとさぁ、歩行者天国の規模が小さくなっちゃったじゃない。あれがなんか寂しくてなぁ。

ちなみに、かつては「秋葉原は10年サイクルで変化し続ける街」だったんだそうだ。電脳街前は、おそらく「ラジオの街」だったのかね(この名残はもちろん今でも残ってる)。何で読んだんだっけかな。なんか鉄道ものの読み物だった気がする。ただ「萌え」については、なんか10年経っても変化しそうにないよね。

シュタゲの最重要の舞台である「ラジオ会館」(リニューアル前)は、当然駅のまん前だからさ、秋葉原に行けばまず目にするし、1F 部分は良く通過はしてたんだけれど、2F より上には、たった一度だけ行った。そのときはハードディスクのジャンク品を買った気がする。作品内の雰囲気のまんまだったな。なんか暗いし狭いし。「カオスな秋葉原」の象徴みたいなとこだ(った)よね。

まぁワタシが秋葉原に行かなくなったのは、「萌え」だけが理由ではなくて。

一つに、「家電量販店で済むものしか買わなくなったし、秋葉原でしか買えないものが(ワタシにとっては)なくなってきた」てこと。

もう一つが、昔はそもそも神田が好きで、よく神田(というか神保町)に行ってたのね。古本だけでなく、新書を買うのにも神保町を利用してた。「書泉」のはしごはまさに神保町のと秋葉原駅前のとでよくやってたし、「三省堂」も良く使ってた。ワタシが勤めだした頃は、神保町・秋葉原以外だと、東京駅前の八重洲ブックセンターくらいしか「欲しい専門書がいくらでもそ揃う」書店てなかったんだよね。なので、「神保町に行ったついでに秋葉原」てのをほんと良くやってた。

これについてもやっぱりさぁ、最近郊外の大きな書店の充実が素晴らしくてさ。感覚としてはほんとここ15年で一気にだな。ワタシの家の近くだと、川崎駅前にデカい丸善が出来たのが大きい。遠出するんでも、京浜東北ユーザのワタシとしては、秋葉原で降りるよりは東京駅の方が「楽」だったりするので、なので新丸ビルの「丸善」ばかり使ってる。「丸善」で足りなきゃ、反対側に行って「八重洲ブックセンター」までの梯子をすればいいし。あと、有隣堂の大きいのが結構あって、特に横浜駅の有隣堂はかなり品揃えが良くて、結構使う。蒲田で済ます場合は、「くまざわ書店」と「有隣堂」を梯子、だね。蒲田の「有隣堂」は大したことはないが、「くまざわ書店」は結構いい。

てわけで、もはや神保町には、「古本のため」にしか行かないことになって、ワタシはもともと「ついでに古本も」程度のユーザでしかなかったので、なので行かない、てハメになる。行ってた頃はさ、「ついでにレコード店も」も目的だったんだけどなぁ。

つーわけで、「シュタゲを観たあと」に、実は一度として秋葉原を訪れてない。なんとなく「聖地巡り」したい気もないでもないんだけれど、なんというか「観てればだいたいどのあたりかわかる」程度には知ってるんだよね、なのであえて出向くほどのモチベーションもちょっと持ちづらくってさ。それにやっぱ「こえーし」。


あー、終わり終わり。相変わらず書き始めるとキリない。