ルとヴィと、ん?

うにてんてんに思うこと。雲丹転々ではない。

日本語がかつて五母音ではなかった、という話は、聞いたり習ったりしたことはないだろうか? 少なくとも義務教育で習う内容ではないし、高校の古典の授業でも、教師がどんな学説を信じているかによるだろうから、聞いたことがある人もいれば、まったく聞いたこともない人もいるかもしれない。

この真偽については、タイムマシーンが発明されでもして録音されでもしない限りわからないだろうことだから、どちらが正しいなどと主張することは、やってみるまでもなく不毛なことだ。だけれども五母音を超える八母音を「区別する表記」(上代特殊仮名遣)があった、ということだけは、書物の研究からわかっている。

「統一的な日本語」としての音声が五母音だったのか八母音だったのかの真偽は定かでなくても、はっきりと言えることが一つだけある。それは、音声そのものには、「地域差」という揺れがある、ということである。つまり「方言」である。いまでも関西方言の「う」と中部・西関東方言の「う」は、IPA の発音記号で示せば、前者が「u」、後者が「w」になるとのこと。そうかもしれない。

「上代特殊仮名遣」について、話者と表記者が異なる言語話者だったのではないか、という説を読んだことがある。渡来系の八母音話者が、五母音話者たちの異なる方言を掬い上げて忠実に記録しようとしたのが「上代特殊仮名遣」なのに違いない、という説だったと思う。つまり「音声の違いを区別する表記があったこと」がすなわち我々が八母音話者だったことの証明にはならない、ということだ。つまり「全国津々浦々の民が八母音全てを使いこなした話者集団であった」ことの証明にもならない、ということだ。

音声と表記に関しては、ここまで書いてきたような古代に求めるもののみならず、かなり近世になってから変質したと考えられるものもある。「ラヂオ」などもそうだろう。「シジミ、チヂミ、スズミ、ツヅミ」、これら「ジ」「ヂ」「ズ」「ヅ」は、どうやらかつては音声も区別されていたらしいという説がある。この説の根拠となっているのは江戸時代の「蜆縮凉鼓集(けんしゅくりょうこしゅう)」とのこと。本来の発音に矯正することを意図したものではないか、という。ただこれだけ読むと、「表記が異なるのだから読み方も変えるべきだ」という提案とも読めなくもないので、証明とはならないんじゃないのかな、とも一方では思うけれど。

さて。では、最も最近変質したものってなんだろうか。多分「うに点々」の「ヴァヴィヴヴェヴォ」だろうと思う。「ウィ」もそうだろう。どちらも「英語発音を表記」するための、苦心の発明に違いない、と思う。誰がやり出したんだろうか、ナニソレあったまいい。

だったらどうしてついでに「ra ri ru re ro」「la li lu le lo」区別を発明してくれなかったのだろうか。そうすれば直線式をリアルの親戚と勘違いするなんてことは起こらないのに。

そうだ! 京都に行こう「ra ri ru re ro」を「ルァルィルゥルェルォ」としよう。巻き舌に相応しいではないか。きゃー、ステキー。明日から使いましょうよ!




















………「louis vuitton」: ルイ・ヴィトン。というわけで。紛らわしいので、却下。いっそラ行に半濁点付けたいのである。そうすりゃぁも少し表現力が出るであろうに。そんなあなたに「国際発音記号(IPA)」。

ヲシマイ。