これの流れで海外のひとたちの反応をみてたら…。
こういう話、結局付きまとうんだな…。たぶんアメリカ限定の事象なんだと思うけれど、「宝石の国」が、「スティーブン・ユニバースのパクリだ」なんてことを言われているんですと。イメージ検索だけしたらさっぱり意味がわからなかったが、設定を読んだら、確かにあめりけんの言わんとするところはわからんでもない、とは思った。
少なくともほとんどの日本人が「スティーブン・ユニバース」を認知しているとは思えないし、市川さんがモーニングアフタヌーンに連載開始したのは、スティーブン・ユニバース放映開始の一年前だそうだから、普通に冷静に考えればアイディアの借用をしてるとは思えない、というのが結論、でいいと思う。
この手の話題が出るたびに思うんだけれど、仮に、だよ? 「スティーブン・ユニバース」を好きだから、ということで言うなら、どっちも好きになるって選択肢はないの? みたいに思うんだよなぁ。どちらかが一方的にダメな場合はいくらでも叩いてもらっていいけれど、これはよくある「映画とその原作の関係」にも当てはまる。実際「ヒドい映画化」もたくさん知っているけれど、「別々に楽しめばどちらも楽しい」という、「原作から外れた映画」なんてヤマほどある。アニメの話に戻すなら、ここ何日も繰り返してる気がするけど「地球へ…」は、80年代の映画化、2007年のアニメ、いずれも原作と違う。特に後者のアニメはラストが「全く」異なる。「地球へ…」でそうした話があったかは知らないが、ほかの作品の例だと「原作も素晴らしいがアニメの改変も素晴らしい」とは頑なに言えない人たちがいるらしく。なんでなんだろうか、と。そういう指向はほんとにダメな作品のために取っといて欲しい。
それともうひとつは、最近の「引用」や「模倣」に対する世間の反応が「極端過ぎる」ことも気になる。今回のこの話が「スティーブン・ユニバース」相手に限れば「引用」や「模倣」じゃないことは明白だと思うけれど、そもそも現代において、外部からの一切の影響を受けない純粋培養オリジナル、なんか、オオカミに育てられた少年じゃない限りは絶対に無理な話。本人が意識しないところで必ず何かしらの影響を受けている。視聴者にとっては、誰の影響を受けているのかを想像することも、これは楽しみの一つなわけである。ワタシはだからすぐに萩尾都望の影響を読み取ったわけだし、「そこがいい」わけだ。
なお、「宝石の国」の元になったアイディアは仏教だそうだ。すなわち高校時代に既にアイディアの芽があった、というわけである。「「スティーブン・ユニバース」放映前」どころの「前」じゃないね、だとすると。
あと一応最後に付け加えると、「ある似通ったアイディアが自然発生的に同時多発で起こる」なんてことは、実際は日常茶飯事である。そんなことは100、200年前、400年前、といった化学や物理、数学の世界では頻繁に起こっていたし、今でもそうである、不思議なもので。なぜ現代にだけ問題が露呈しているかのごとく見えるか、なんてのはそりゃ Google のせいでしょーよ。簡単になんでも誰でも検索できちゃうもんだから、そして「鬼の首めーっけ、ストレス発散ぽちっとな」病が蔓延してる、それだけの話。やめろよそういうの。そういうのは本当に悪質なのに取っとけ。