読むなシリーズはなんか久々か? そでもない?
日本語検索を頑なにしないもんで、「お仲間情報」が日本語で存在していることを、一切探しもせずにほとんどのエントリを書いてる。Python for .NET だが、なんだか結構情報あるわね。例によって「はてぶ」数でそれなりに人気を博してることも読み取れるし。
迷惑な情報を撒き散らす側にいといてなんだが、やはり日本語情報はガッカリ率が高いという印象はいまだに変わらない、と、さっき久しぶりに(間違えて)日本語検索しちゃって改めて思った。
まぁ何度も言っているけれど、別に「英語至上主義」ではない。英語情報にも「トンデモ情報」やガセはたんまりある。どっちみち脳内フィルターは英語だろうが日本語だろうが必要だ。日本語情報読んでイラっとすることが多いのは、「英語の読み間違いに基くガセ」が非常に多いからだ。これらがあまりにノイズなのでワタシは日本語の情報を好まない。それだけ。こんなこと言うとほんとに質の高い記事を書いてくれる人たちに申し訳ないんだけれどもね。
アニメ視聴習慣を久々に、て話をちょっと前に書いた。相変わらず「宝石の国」のヘビーローテーションは変わらず。
そこで「宝石の国」に触れた際はあえて書かなかったのだが、これの原作は「このマンガがすごい 2014 にランクイン」している、ほっといても大人気のマンガだ。なのでテレビ放映が始まる前から騒がれていたし、リアルタイムでもなかなかに反応が賑やかなわけである。
「自分と世間の評価のズレ」みたいな「共感確認」をしたいわけではないけれど、やはり気に入ったものについては情報収集的なことをワタシもするんであって、皆が大喜びしてれば「おーよしよし」と嬉しくなったりはする。にんげんだもの。
ということをしてればすぐに気付くんだけれど、「フル CG なんて大丈夫なのか?」という放映前の不安、そして「フル CG なんて許せん!」、もしくは「フル CG だからダメなんだ」という「評価」が結構見つかる。これは日本でも海外でも全く同じ。
それは「評価」じゃなくて「感情」なのでは? というような頑なな「意見」も見つかるけれど、まぁそういうのはほっとくとしても、ただ「フル CG 否定派」の「主張」と思しきものたちの、ある一点においての「なにかの欠落」がワタシには気になったりする。
「なにかの欠落」についてはちょっと後に書くとして先に。
そもそも「CG はヤダ!」と思う気持ちが、まったく理解出来ないヒトではない、ワタシは。実際「アニメ視聴習慣を久々に」で「社会人になってから気に入ったもの」の一つとして挙げた「地球へ…」も、実は CG 部分はイヤだった。だって「浮いてる」んだもん。けどそんなことが全然気にならないほど内容が良かったのだ。前になんかのネタで書いた気がするけどさ、こんなん所詮「あばたもえくぼ」だし「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」なんだよ。感情の方が理性より強いんです。
それよりもなによりもな、「ダメな CG はダメだ!」てだけの話なんじゃねーの? てことだと思うんだけどな、ワタシは。
「宝石の国」の「フル CG (一部違うとのこと)」は。これはさ、「すげー」んだけどね、どう「すげー」のかが「すげー」んであって、無論技術あってのものには違いないけれども、「CG だから」とか「CG なのに」とは全然関係のないところでまずは観るべきよ。だって、「生身の人間に演出するかのごとく芝居をさせ、実写映画のごとき練られたカメラワークをしている」んだから。なのでワタシなんかはあの宝石たちのしなやかで美しい動き(ジェンダーレスだが女性らしい動きをする、非常に)をみていると、「CG」どころか「アニメをみている」という感覚すら忘れることがある。(技術的には宝石たちの動きについてはモーションキャプチャを取り入れているとのこと。)
そして細かいことだが、宝石たちの「靴」の描写がなんだか好きだ。「なぜここでピンヒール?」。美しいんだからいいじゃないか。どうでもいいが、なんだか宝石たちをみてると Perfume を思い出すんだよな。特にフォスをみてるとのっちを思い出す。性格的にも似てないか? なんか。(子供っぽいまま成長しない感じが。)
毎話の展開も、ちょっと色んな意味で「良く出来て」て面白い。現在第7話まで放送されたけど、毎回ある一定のパターンを取ってて、「テンション⇒リラックス⇒テンション」、かな、真ん中に必ず「ゆる~い」部分があって、なんか「ほえほえ」する。そして毎話必ず誰かが「壊れて終わる」。第六話で初めてフィーチャーされることになった「アメシスト(33と84)」、この真ん中のリラックス部分で「たっぷり魅力をみせられて大好きになった」直後に、奈落の底に突き落とされる。だいたい毎回こんな構造になってたりする。こうなってくると、「今回は誰がどんな悲しいことになる?」みたいな見方をしてしまいそうだ。
とにかく「愛を感じる」のが好きだ。手を抜いてないし、隅々まで徹底的に愛されて生まれた作品だと思う。
さて、「後回し」にした、「CG 否定派」の人々に見受けられる「ある種の欠落」について。
「ダメな CG はダメだ!」という論点から攻めてる人はいいんだよ。そういうことなら正しい。けれど、「作画じゃないなんてナニゴトだ」論の人々が一定数いることに気付いた。
似たものでいくらでも心当たりはないかい? 画家が写真家に向かって「自分で描かないとはナニゴトだ」と言うならば、現代なら誰も同意しないだろう。けれど想像ではこういった考えは、昔はあったのではないか? つまり「作画じゃないなんてナニゴトだ」は、先天的に廃れやすい論法だと思うぞ。
それだけではない。「作画じゃないなんてナニゴトだ」論には、「誰が CG を「描いているのか」」の想像が欠落している。ロボットが機械的に描いているのじゃない。「人間が」描いているのだ。CG は道具に過ぎない。そしてこの道具を使いこなして「単なる手段」となしえた者が評価され、そうでないものが非難されるのだ。「ダメな CG」とはそういうことである。「作品」や「アート」は「道具」の「先」にあるものである。「道具の先」は(今のところは)人間にしか作れない。人間が精一杯の愛情を注ぎ、血のにじむような努力をすれば、「宝石の国」のようなすばらしい「作品」が出来上がる。繰り返すが「PC が作った」のじゃぁないのである。
去年だったかに『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』なんてのをやっていた。これを観てたときも思っていたことだけれど、そう、まぁ「自分が働いているヒト」なら誰でもわかることだが、「世の中はヒトに知られない仕事に支えられている」。が、こと「デジタル」なことになると、どういうわけだかこのことが忘れられやすいように出来ているらしい。Windows だってロボットだって航空機だって、みんなヒトが作ったのであるし、なんなら「黒板で設計された」のだ。今皆が目にしている「デジタル」の裏には必ずアナログがある。デジタルがデジタルをオートメーションで生み出してきたのではないのである。
まぁ「作画でないとはナニゴトだ」という人々には、ちったぁこういったことも想像して欲しいよな、てなことを思うのはあるいは、ワタシが IT なエンジニアだから、なのかもしれんけれども。
アニメ話のついでに。
「アニメ視聴習慣をつけてみようか」と思うまでもなくそもそもワタシはテレビっ子なので、出会えばそれなりにアニメも観る。先に挙げた「限られた気に入ったもの」以外のものだって、結構観てる方だと思う。
で、ある時期から、観るたびにずっと思っていたことがあってさ。
「ある時期」のその時期はだいたい2つか3つの「断絶を認められる特定のタイミング」があるんだけれども。別に歴史家じゃないので所詮感覚的なもんなんだけれど、概ねこんなふうに時代が変遷してきたのかなぁ、という気がしている:
- 「子供向け番組」というジャンルが明確にあり、いかなる「子供向け番組」もどこか教育的でもあり、大人が真剣に子供と向き合っていた時代
- 「大人も楽しめる子供向け番組」というジャンルが認知され、大人も子供向け番組を楽しむようになった時代
- 「子供向け番組は大人が楽しむもの」の時代(そして本当の子供向け番組にはゲーム要素が不可欠な時代)
最近 tvk だとか TOKYO MX なんかの古いアニメの再放送をいくつか観てたりもしたんだけれど、「妖怪人間ベム」なんかは完全に 1. の時代だよね。今となってはあるいは「説教くさい」と思われかねないところもあるが、たださ、「観ているお子様に真剣に向き合っている」のが伝わってきて面白い。
ルパン三世の時代、というのがまさに 2. で、アニメそのものは 1970 年代から 80年代初期だけれど、「マンガは子供が読むもの」ではなくなったのはそれより若干前の 1960 年代後期からだろう。この 2. の時代は感覚的には随分長く続き、少なくともワタシにとっては 90 年代初期までは確実にこの流れだった。だからこれの例は挙げればキリがなく、ガンダム、銀河鉄道999、のみならず、「タイムボカンシリーズ」なんて子供向けにしかみえないものですら、大人をもターゲットにしていた節がある。
3. の時代がはっきり始まったと言えるのはたぶん、フジテレビが(地上波で)「ポンキッキ」をやめたあたりのタイミングと合っていると思われる。フジテレビに限らず NHK ですら、「はっきりとした子供枠」の時間を軒並みやめていってしまった。朝8時と夕方4時から7時までは子供の時間、だったのである、かつては。今はその面影すらない。なぜこうなってしまったのであろうか? ワタシなんかはちょっと可哀想に思ったりもするんだけれど、まぁ「テレビばっかり観てないで!」てことかもしらんし、いいのかな、まぁよくはわからんけど。
アニメ、に関しては、ごく一部を除けば、今は深夜にしか放送されていない。戦隊ヒーローものだって、今じゃ信じられないかもしれないが、ワタシが子供時分は夜7時なんて当たり前にあったのに、今は朝の時間以外に放送されることはまずない。そしてアニメの需要は「一部」の大人向けに一方的に偏り、ワタシのような「普通のヒト」には多くのアニメがお呼びじゃない。
3. の時代の幕開けとなった犯人にははっきり心当たりがある。これは「不思議の国のナディア不思議の海のナディア」だ。ただこれそのものは「前夜」であって、引き金ではない。時代的にも本当の 3. の始まりよりもずっと遡るし。これはワタシは高校生時代にリアルタイムで観ていたけれど、今で言う「萌え系」の元祖といってもいい。だからちょっと気持ち悪い感覚も持ちつつ観ていた。内容は好きだったんだけどね、この頃から「萌え系」、抵抗あんだわ。てわけで、「庵野め」ちぅことやね。宮崎駿もそうだけれど、「時代を築いたヒト」というのは、だいたいは「~といえばコレ」と言われる作品を作る前に必ず問題作に絡んでる。(なのでエヴァは実際は時代の断絶になってない。)
3. の時代ではまだまだ気になることがある。
一つ目が、「静止画の質の向上と動画の質の「大」劣化」だ。以前「アニメオタクの後輩」にこのことを突っ込んだことがあるんだけれど、彼ら自身もこのことは自覚しているらしい。それこそ「予算不足」とか色々あるんだろか。もう「観てらんない」ほど酷いのが多い。静止画を連続再生すればアニメになる、のではなかろうに。とはいえそれこそ CG の発達のせいなのか、ここ数年この劣化は多少なくなってきたようには思う。CG、いいんじゃねーの? と、こういうのを観てると思ったりもする。
二つ目。「真性の子供向け番組にはゲーム要素が不可欠」について。これも犯人に心当たりがある。無論「ドラクエ世代」が作るもの、という側面は一方ではあるけれど、直接的に「ゲーム然」したアニメ(マンガ)ばかりが作られるようになったのはこれは、どう考えても「遊戯王」のせいだろう。これも長いねー。だってアタシが学生の頃に連載開始だぞ? なんつーのかなぁ、こういう「ゲーム要素の文脈」を読み取れないと視聴そのものがキツいのですよ、ワレワレおっさんには。「ルールがわからん」ばかり頭を巡るもんで、内容が入ってこないの。「オタク要素=大人が観るもの」「ゲーム要素=子供が観るもの」というふうに、二極化してお互い交じり合わないのね。中間もないし。(なお、「ゲーム的な題材をフィーチャーした作品」が昔はなかった、ということはなくて、昔も結構あった。「ゲームセンター嵐」なんか懐かしいねぇ。)
三つ目。「アニメ的記号」が確立し過ぎである。「急に三頭身になる」アレは記号である。これそのものは、ワタシが憶えている範囲では「気紛れオレンジロード」(じゃなかったかも、同時代の同系列の何か)が最初にやり出した。当時からこの表現は嫌いだが、今はその必然性の全くないアニメにさえ当然のように使われるのがイヤになることが多い。「夏目友人帳」にさえこれがあるのがとてもイヤだ…、が、まぁそれだけを理由に嫌いになるような作品ではないからね。…とここまで書いて気付いたのだが、よくよく考えたらこの三頭身化、もとはといえば手塚治虫か? 彼の作品では気になったことはないのに、なんで気になるんだろう? 何が違うんだろう?
「宝石の国」はこういった「記号」とは無縁なのがとても嬉しい。無用な表現が世界観に破綻をきたさない。浸っていられる。そんなことも思う。
四つ目。無論原作のマンガのほうの罪だろうが、タイトルが安直なものが多過ぎる。一つには「長い文章のようなタイトル」、最近そればっか目立つ。まぁこういう「ダメな作品が安直に流行りに追従する」なんてのは昔からだけれど、最近の「安直」は昔の安直とは違って、「作為」だけが透けて見えて、イヤらしい。二つ目が、まぁゲームの影響もあるだろうね、「タイトルから内容を想像出来ない英語タイトル」。これもまぁアニメに限った話じゃないし、今に始まったことではないんだけれど、でも少なくとも今は「目立って多い」。
テレビっ子なので、今クールのドラマの話もちょっとだけ。
正直前クールの「コードブルー」ロスがはじめは酷かったけれど、まぁそれなりには今クールもいくつか毎週観ている。うーん、前クールの話もしたいぞ、「幸のお寺ご飯」「マジで航海してます」が好きだった、以上。ほかにも色々触れたいがキリないわ。
で今クール。正直「大ヒット、全オレが泣いた」は一個もないんだけどさ。
まぁ「奥様は取り扱い注意」は気楽に観れていいよね、とか。「僕は麻理のなか」はちょっとエロくて好きだ、とか。
「明日の約束」「さくらの親子丼」はともにかなりイラつきながら観ている。どっちもなんつーかリアリティに欠けてやしないかい、と言いたくなりそうだが、どっちも似た状況をこの目でみたことがないのでなんとも言えない。だって前者は単に井上真央観たさに、後者は単に本仮家ユイカ観たさに観てるだけだもの。どっちも「悪いヤツ」が「悪過ぎてリアリティがない」典型。本当に悪いヤツは悪いヤツに見えないものである。悪は善意からしか生まれないのだ。なんてな。
「先に生まれただけの僕」が割と面白い。と、「第一回」は思ったのはそう、「意識高い系の演説かまして大団円でハッピーエンド」が「打ち砕かれるオチ」で作り手の狙い通りにコケることが出来たから。「意識高い系演説」はツッコミ入れながら気味悪く観てたんだけど、まぁ視聴者とおんなじツッコミ入れてくれたわけやね。ただなぁ…二回目以降は段々普通のヒーロー譚に収まりつつあって残念。もっと「残念な」桜井翔を見続けてたかったんだけれども。
「監獄のお姫さま」は比較的毎週楽しみにしてるかなぁ。キャスト全体的に好きってことはないんだけれど、夏帆は好きだからね、なので夏帆があんまし活躍してないのが悲しい、と思いつつも、「腐っても宮藤」、ところどころちゃんと宮藤だ。そいや今クールじゃないけどバカリズムのドラマが前クールまで結構続いたよね、どれも面白かった、またやらないかな?
「刑事ゆがみ」。浅野忠信、神木隆之介のコンビは悪くない。それだけかな、とも思うけど、それが大事でしょ、とも思う。そんな感じ。
「コウノドリ」。一部作品を除くと綾野剛はあんまり好みじゃなくてね、松岡茉優が観たくて観てるだけかも。ドラマの内容もあんまり興味も持てないし。ただ星野源がいいね。吉田羊はさ、このままじゃ飽きられるぞ、大丈夫か? いつなんどきもトーンが一緒で、色んなドラマに出た吉田羊の役の区別がつかぬ。一応毎週観てはいるけれど、あんまし楽しみに待ってはいないな…。
「今からあなたを脅迫します」、初回で離脱。世間的にはどうもディーンフジオカへの批判が目立つようだけれど、あたしゃ武井咲がぜんぜんダメだ。この子、アレもヒドかったよな、なんだっけ、あ「海の上の診療所」と「戦力外捜査官」「フラジャイル」だろうな、ダメだ思ったのは。「海の上の診療所」なんかはドラマそのものは面白くて楽しんで観てた気もするんだけど、武井咲が台無しにしてたような気がしてたんだよなー。
あーあー、一個だけとても気にいってたの、あったわ。NHK の「この声をきみに」。元々麻生久美子のコメディエンヌっぷりは大好きで、特に時効警察は本領発揮してて良かったよな。おそらくデビュー間もない頃の「JAM FILMS」で初めて知った女優だったんだけれど、始めのころはあの「どちらかといえば美形」に即した美形キャラを演じることが多かったんだけれど、西田尚美同様彼女も「幸薄の能天気女」やらせたら天下一品だ、とその頃から思っていた。まぁ「この声をきみに」はそっち系ではないんだけれど、でも相変わらず好きだ。そして竹之内豊。とても、抜群に良かった。こういう役、似合うんだねぇ。脚本が大森 美香さん。「カバチタレ!」や「あさが来た」など、いつもはアタシの口に合わないヒトなんだけれど、これは面白かった。
同じ NHK では「アシガール」はまぁ惰性ではあるけど一応ちゃんと毎週楽しみには観てる。黒島結菜は可愛いしね。金田哲はなんだ、もう役者のほうが本業になっちゃったのか? ここんとこ「はんにゃの金田」をめっきり見ない。が、ドラマで出ると非常に印象がいい。
まぁなんつーか「外れ」感が強い今クールではあるんだけれど、それでもそこそこ楽しんではいる、にんげんだもの。
テレビっ子なので…。
遂に「めちゃイケ」が終了すると聞いた。これ自体は個人的には「当たり前だろ」と思っているんだけれど、それ以前の話として。ちょっと前からずっと思っていたことなんだけれど。
ここ何年も「フジテレビが嫌われている」と言われて久しい。これは個人的意見だけれど、フジテレビが毛嫌いされるキッカケを作ったのはこれはもう、「踊る大捜査線」だと確信している。そしてこれのおかげで出世した亀山千広。「踊る」の脚本家の君塚良一。この三つが主犯であることに疑う余地はない。と言うような感覚については、純粋にドラマや映画を楽しんでいる人々にとってはむしろ常識にすら思える。君塚良一、だろうね、A級戦犯は。これほど誰にでもわかりやすいダメ脚本を「大ヒット」させた罪は大きい。
ということではあるんだけれど、ただ、「めちゃイケ」も実際はフジが嫌われた一翼を担っていたのじゃないのかなぁ、と、ワタシなんかは思ってるんだけど。なにより「長く続け過ぎた」のだ。実際ワタシも「たんぽぽ」などのメンバー加入前はそこそこ楽しんで観ていたんだけど、彼ら彼女らの加入から一気に視聴意欲がなくなって、以降「一度も」観ていない。ここまで頑なに視聴しなくなった番組も珍しい。普通「たまたま時間があえば観てやってもいい」くらいには思うもんなのに。とはいえ元からナイナイが好みじゃなかったということもあったからね、キッカケさえあればいつでもそうなってた可能性はある。そんな具合に、多分だけれど「ある時期から意地でも視聴しなくなった一群」がワタシ含め多数いたと想像している。そしてそうなったらもう「いつまでめちゃイケにしがみ付いてんだよ」と思うハメになるわけだ。この感情的なものが「フジそのものが嫌い」という論調になっていくんだろうなと。
バラエティを長く続けることって難しいよな、と思うんだけれど、でもそう考えると、現在の日テレとテレ東のバラエティ班はあまりに優秀だ。何がどう違うんだろうねぇ?
ワタシは「フジが元気がない」のは認めつつも、別に「意地でもフジテレビは観ない」なんてことはしてない。面白いのは面白い。そういえば「いい加減にしろ、フジテレビ」でもう一つ思いだした。「オモクリ監督」。こういう本当に面白くて斬新で革新的な番組を、根気強く育てられない、そういうところにも皆イラついてんじゃないのかなと思う。オードリー若林がやってた深夜枠の「世界は言葉でできている」なんかサイコーに面白くて毎週楽しみだったのにな。こういう優良な番組を、今のフジは忍耐強く育てられない、そんなところに皆怒りを覚えてたんじゃないのかな。
うぅ、長く書き過ぎた。ちと「宝石の国」熱が高過ぎてな、今。これほどの「ホット過ぎるマイブーム」てのは、そう毎年あるもんではない。だから今から「宝石の国」ロスが怖い。そして 12 月 20 日の DVD & Blu ray 発売が待ち遠しい。まる。
あ、GYAO でも無料視聴出来るのか。ニコ動のコメントがイヤならこっちよね。いずれにしてもこれはテレビ地上波オンエアー期間と同期した配信みたいなので、本日(2017-11-24)なら7話が観れるだけ、テレビの放送が終われば観れなくなる、んだろうね。