いんすぱいあど、ばい、いーてれ。
NumPy だけで済んじゃうことが存外多くてな、「constants のためだけに scipy」という決断になかなかならない。気象関係なんかも、MSM GPV データをお取り寄せて基礎的な演算しかしないんであれば、かなりの高確率で「SciPy まではいらん」になる。たとえば「ケルビンからセルシウスに」が「scipy の力を借りなければ到底保守が無理なほどに煩雑」になるか、なんてのは、答えはほとんど自明で、無論「否」である。だって、「絶対零度=-273.15℃」という情報だけあれば簡単に行き来出来るのだから。
そうはいってもな、日常で「単位変換の類」てのは、当然のごとくしょっちゅう必要となる。自分が関わる業務の自分が書くコードで、設計段階から必要性がわかる類の単位変換や定数ならば、「自分で管理しちゃえ」もありうる。けれども「普段は必要ないが、非常に低い頻度だがたまに必要になる」もののうち、「特に仕事と全然関係ない」ものほど「あーめんどい、なんか便利道具なきやいなや?」という気分が強くなる。
「華氏温度から摂氏温度」なんてのがまさに最たるもので、毎日アメリカと日本を往復するような稀有な人でない限りこんなもん毎日使うわけないし、仮に便利ツールがあっても日常使いすることもないので、「かつて見つけたが、いざ使おうと思ったらもうどこにあったかわからず、見つからない」てハメになる可能性が高い。
こういう「とてもパワフルな便利ツールが WEB 上にあったぜやったね」をブックマークしておくとか、あるいは改めて探すくらいなら、普段なら躊躇する「constants のためだけに scipy」の日だ!:
1 >>> from scipy.constants import convert_temperature as CT
2 >>> # "Fahrenheit 451" is a 1953 dystopian novel by American writer Ray Bradbury.
3 >>> CT(451, "F", "C")
4 232.77777777777777
えとね。ワタシのお気に入り番組の一つが NHK 教育の「100分de名著」なのだけれど、今月のが、ブラッドベリの「華氏451度」なのよね、で、「摂氏で何度でしたっけ?」をさっと手早く計算するのに「インターネット検索エンジン」を使わずにローカルだけでやりたくなってさ。もっと正確に言うと「MSYS コマンドラインにワタシ今いるのでそこでちゃちゃっと」てこと。goole 検索で英語を使えば即座に答えが出てくるけれど、コマンドラインで済ますほうが速い場合も多いわけだ、、、てだけのネタ、でした。
ブラッドベリね。これがさ、「萩尾望都」好きなら普通は名前だけでも聞いたことがある人のはずなわけよ、そもそも短編集を漫画化してる。かくいうワタシは、萩尾望都を知る前に、SFファンだった友人の口から出たのを聞いているので、まぁ「ずっと知ってる人」なんだよね、「名前だけは」。野田秀樹から辿り着く人もたぶんいるんじゃないか。
いい加減「名前だけは知ってる」状態を脱却しようかなぁと。「霧笛」を読んでみたいとずっと思っているのだよね。これは野田秀樹版の「半神」でかなり引用しているようだったのよね。でも「華氏451度」もどうやら面白そうで。
今回のブラッドベリもそうだけど、実はミヒャエル・エンデもそうなんだよなぁ。エンデはワタシにとっては NHK スペシャルの「アインシュタイン・ロマン」なのだけど、ネバーエンディング・ストーリーについては最近までエンデの作品だということを知らなかった。かなり夢中になった映画なんだけどね。エンデについても「100分de名著」で「モモ」を取り上げてて、この回の時も読みたいと思ったんだよなぁ、けどすぐに行動に結びつかないのがいかんわ…、反省。
というか「100分de名著」でピックアップしてる部分だけでの理解だと、華氏451度とモモって、同じモチーフを描いているんじゃないかしら、て気がする。というか「ディストピア」つーと、一番近い記憶で STEINS;GATE になっちゃうのよね、ワタシ。というかもっと細かく言えば「田村ゆかり」。なのでワタシの脳内では「華氏451度」の話をみながら阿万音鈴羽の声が響いてる、と。