うぞーん。
こんなウソみたいな出典表記をみかけた。
当たり前のことだが出典(やアトリビューション)を「表記しなければならない」のは、根本的には「オレのため」、すなわち、不要なトラブルを避けるためであって、違法だからとかそういったことは、「オレ的には後付け」である、誰にとってもそうだろう。ルールなんてのは「円滑にオレが生きる」ために必要なんであって、正しくある必要があるのはそう、なんなら「叱られないため」に過ぎないのだ。
法的にはもちろん「著作権」というルールがあるわけで、これに従わなければならないときは従わなければならない、というのがいわゆる「正論」だし、それ以上のもんではないけれど、要するにもちっと簡単には、「血を吐くような思いで生み出した一次著作者の権利は守らねばならんからルールがあるのだし、それを守るためのルールに反すれば、法的措置に訴えられる場合がある、そんなんやでしょ」つーことだ。
てわけで「出典: Google 検索」なんてことをしでかす人間のその心はまったく理解出来ないが、親切心からは、「どこからお叱り受けるかわからんから直しといたほうがええぞ」と思う。
てな話とともに、ずーっと WIKIPEDIA を読むたびに気になること、な話をついでに。
まぁなんつーかエディターなのかモデレータなのかわからんが、そうした人たちのツッコミってヤツには、色々毎度思うことが多いわけね。
例えば上の引用では、「隠れ巨乳と言われることがあるが」に対して「誰によって?」という修正依頼を書き込んでいるであろう。このツッコミがどういった「正義」に基くのかといえば、多分こういうことなのだろう:
- 事実ではない可能性がある記述は百科事典的に NG である。
- もしそうであるならば、出典が明示されなければならない。
- 百科事典は主張を展開する場所ではない。
- 従って、100人中100人にとって事実でないものは記述してはならない。
- すなわち、「隠れ巨乳と呼んでいるのがあなたの周りだけでないことを確証せよせよせよ…」
出典、ついてんじゃんねぇ、と思うんだけど。して、引用元が「隠れ巨乳」と主張してれば、このモデレータ的には OK なの? OK なら論理矛盾なのよね、「だってそれって引用元だけの持論じゃね?」となるでしょ、ならないならちと頭オカシイ。
「出典至上主義」つーのかな、割と出典さえ書かれればオッケー、みたいな程度の低いようなモデレートも見かけないことはなくて、だったらちとヲィヲィと言いたくもなるけれど、一応ちゃんとした正義に基くもののほうが多そうだな、と、印象的には思う…、んだけれど、たださぁ、ほんとに「意見」や「主張」なく百科辞典なんか成立させられんの? と、思わない? 事実「議論」「論争」といった記述は普通にあるわけだけれど、これを書くには、「執筆者の客観的な視点に基く意見」なくしては書けない類のもんだろう、単なる客観的事実の列挙しか許されないなら、そもそも「歴史」についてなんか、何一つ記述出来ないことにならんけ?
あとね、そもそも「参考にした文献」の「正しさ」の判断はこれは、「意見」であり、「主張」なわけなのだ。たとえば自分で文献を書いて、それに関するページを WIKIPEDIA に作り、自分が書いたものを出典として書けば、それは「正しい」ですか? 無論こんなんは「正しいかもしれんし正しくないかもしれん」のであって、もうこうなると「読み手の判断」てことになりかねない。まぁ…まさに読み手の判断が狂わないようにするための「まずは原典至上主義」なのでしょうけれどね。読者はだから、必要に応じて引用元をちゃんと読まねばならん、てことでもあるんでしょうな。(実際オソロシイよ、完璧に組み立てられた自家発電ページに騙される、みたいな事件て、今後起こらないとも限らない。)
「百科事典は主張を展開する場所ではない。」についてはさ、まぁ「そうだよね、そうあるべきかもね」と思う気持ちもある一方で、やりとりをみてるとこれが度を過ぎてるんじゃないのか、と思うことも結構多くて。確かに百科事典というのは主張や研究成果の報告の場ではなくて、良くも悪くも本物情報へのポータル「でねばならぬ」てことなんだけれども、特に最近だと「WIKIPEDIA が最重要の一次ソース」にすら育っちゃったエントリも多く、そうした場合にはもう「ポータルでしかないことを死守」すること自体が難しかったりしないのかな、なんて思っちゃう。
つーかそうした場合てのは逆に、「出典:WIKIPEDIA」と書きたくなりそうになることも多いわけなんだけれど、それって生来「出典:Goole 検索」と大差ないのね、WIKIPEDIA の存在意図を考えるとさ。
なお、著作権関連において「出典:WIKIPEDIA」と「出典:Goole 検索」が決定的に違うのは、前者は Creative Commons ライセンスによって基本的に守られる、てことね。ので多くの場合は問題ない。ただ問題がないことと、そうすべきかどうかってのは別問題で、本来は WIKIPEDIA の記述の元となった文献をこそ引用するのが筋。まとめフィルターのかかっていない生のものじゃないと意味がないことなんか当然多い。
なんてことを日々考えるのは無論、「もはや WIKIPEDIA は生活の一部だ」からだよね。不便だったり大した情報量じゃないなら別になんとも思わないが、原典が簡単には手に入らないものなんかは、ほんとに WIKIPEDIA にしか情報がない、なんてのも、今やないこともないんだよね。