俺々辞書のはなしの続きとかその他もろもろ

誰が嬉しいのかわからんネタかもしれんけれども。そしてここんとこ英語のおべんきょの話に偏っておるけれども。

徒然なるままに

ま、色々。

成果物じゃなく行為の方なのよね、結局のところ

英語教材自作:(至極アナログな)My辞書もしくは単語帳的なナニか」に書いた学習方法、我ながら非常に気に入っていて、続けている。

繰り返しておくと、こんなことをしている:

  • 1. 「英語教材自作:字幕付きyoutube動画をDIGAに(不完全ネタ)」で収集した動画を視聴しながら、一度目はとにかくわからない単語をカードに書き出す(調べない)
  • 2. 見終わった状態では、知らなかった単語が多いほど「ナニ言ってんのかわからん」率が高いので「知りたくなる」。
  • 3. 書き出した単語を調べてカードを完成させる。こないだ20枚くらいだったか一気に、となって気が滅入りそうにもなったが、割とその単語が出てきたシーンが頭に浮かぶので、思うほどは苦痛でもないし、そもそも「知りたい」欲があるので、結構楽しい。
  • 4. ドッチファイルに入れたものを眺める。この際も驚くほどどこで出てきた単語なのか覚えてるし、映像さえ浮かぶ。
  • 5. ドッチファイルを手許に用意した状態で同じ動画を繰り返して視聴する。だんだん見返す回数が減る。

1.で「その場では調べない」と書いたが、ここはその日による。3.で「20枚くらい」言うたが甘い。あるドキュメンタリー一本で、150枚くらい使っちまった。

そしてだな。実際のところ、1.~5. にピックアップしなかった作業こそが案外隠れた功績なのだなぁ、と実感する。つまり…、「見返して整理する」よね。カードを抜き差ししたり並べ替えたり分類したり、色々。この「行為」が記憶の定着の「チャンス」になるのな。PC で「エディット」してるのよりもアクションが大きいのでより記憶に働きかけてる「気がする」。うん、思い込みも大事だ。

てわけで、「My辞書」という成果物が大事なんではなくて、その行為が大事なのだ、って至極当たり前のことを改めて実感しました、つーハナシ。

150個も知らない単語があったなんて、とヘコミますか、からの TEDx Talks なはなし


この中に「あるレバーを引くと犬のぬいぐるみが飛び出すオモチャ」の話が出てくる。3人の子供が登場するのだけれど、1人目の子供は紫のレバーを引いて何も起こらなかったので諦めました、2人目の子供はそれをみて、触れもせずに泣き出しました、3人目の子供はあれこれ出来ることを全て試して赤色のレバーを引き、子犬が飛び出て大喜び、「能力が違ったのではありません、失敗に対する立ち向かい方が違ったのです」ちゃんちゃん、って話。

ワタシはときどきレジリエンスやらマインドフルネスなんかもちょっと紹介したりしてきたので、この手のことにワタシが興味があるのは知ってる人は知ってるかもね。「心のケア」の話です。もしこれまでこの動画を見た事がなかったなら、見てみるといいかもしれない。深堀りはしてないので物足りないと思う人もいるとは思うけれど、ただエモーショナルに訴えかけてくるプレゼンですから、だって TED ですもの。

先の「150枚も浪費しちまった」は、ともすればネガティブにもなっちゃうわね。実際その150個の「調べたい単語・熟語」の内容たるや、はっきりいって個人的には相当に惨憺たるものであって、「なんでこれ知ってたはずじゃんなんで出てこんの」が優に半数を超えるわけね。つまりかなりの率の語は「一度は記憶してた記憶があるものたち」。いや、そもそももちろん「たかが一時間のドキュメンタリーの中に150もわからん単語があるのけ?」てだけでも十分に「あーぁ」な気分にもなりかねんであろ?

白状しよう。「あたしゃ図太いのぢゃ」。こうであろ?

  • 150個も新しい単語を覚えられるなんて幸せだなぁ
  • 大人になってからの勉強は有効期限がなくて幸せだなぁ

昔からそうだったの? つまり上の例の3人の子供の3人目のタイプだったの? 否。全然違った。むしろ2番目の子供のタイプだった。だからこの性格は案外後天的に身に着けたものだ。思考の「癖(へき)」は自覚的意識的に改造出来る、と思う。

TEDx Talks だけは「完璧な」教材になりうるのよね

英語字幕付き動画の話の中で、「これがリスニング教材の理想形だ」と言った:

  1. 中身は全て英語 (というよりは「日本語を喋らない」)
  2. 英語字幕が付いている (リスニングの答え合わせのために不可欠だが、おそらくリスニングよりもリーディングが鍛えられる)
  3. 英語字幕を ON/OFF 出来る
  4. 吹き替えもあるとベスト (先に内容理解するため)

TEDx Talks に関して、「地上波で入手できるレベル」だと実は欠けているのは英語字幕だけなのね。NHK が比較的至れてて尽くせてりて、「スーパープレゼンテーション」という番組は、「日本語字幕版」「日本語吹き替え版」の2種類の放送をやってるのね。そして TEDx Talks は「あらゆる言語向けの Closed Caption 付き」で youtube に挙げられてる。これは公式なのかな? (TED のオフィシャルページでの視聴だと OSD な字幕ではなく全文 Transcript の形で読める。) というわけでこれでやったように(アタシのばやいは) DIGA に字幕付きで取り込めば、NHK 版とセットで持っておくことで「(ほぼ)パーフェクト」なのね。

むろん「ほぼ」なのは視聴しながら英語字幕・日本語字幕を都度切り替えることが出来ない、てことだけれど、「何度も繰り返して利用する」つもりならば正直どっちゃでもいい。あと NHK 版には伊藤穰一とその仲間たちによる解説も付いてるから、ますます完璧。

よー考えてみたらこれまで TEDx Talks (というよりは NHK のスーパープレゼンテーション) を避けてたのは「英語字幕も欲しいんだがなぁ」という理由だけだったので、以後活用しよう、と思った。

漢字を覚えるのにも役に立つ

あまり「書く」ことをしなくなってどれくらい経つのでしょう。アタシはまぁ比較的手書きする方だとは思っているけれど、それでも英単語を調べてカードに転記する際、まぁ漢字が書けないこと書けないこと。実は先日の「老眼対策」は、「難しい漢字の細部が読めなくて、書けない」ことが一番苦痛だったのであった。

用済みカードの行方

これはうまくいってるぜ、なハナシではなくて、まだ改善の余地あり、なハナシ。これ:

カードの整理のなかには当然「これ、もう憶えたから綺麗に並んでなくてもいいんだよねー」てのを「抜く」作業もあるわけね。既にばっちり記憶できたものを綺麗に「閲覧」出来なくてもいいじゃないか。

で、この抜いたカードの行方だけれど、「裏面の再利用」が一つ、そして「捨てる」が究極だけれど、それでもまだたまに見返したい、もの置き場、が欲しいなぁと思ってさ。写真の右側のミニバケツ(100円)は完全に失敗。ちょうどいいサイズだと思ったんだけれど、量が多ければ別だけど少ない状態だとちゃんと立たないんで、とってもストレス。で左のプラスチックっぽいケースは、ティーパックの空き箱。バケツとそう大差はないんだけれど、写真のように「斜めに立てかけられる」ように加工したらややいい感じ。

「ドッチファイルにファイリングしたカードポケット」での整理は「ある程度の量一気に一瞥出来る閲覧性」が良いわけなんだけれど、こうして「追いやった(退役させた)カード」はむしろ乱雑にスタックして、たまにバサバサっとパラパラっと見れればいい。

ポンペイな BBC ドキュメンタリーフィルムを「読破」してみたら

最低でも2つのツッコミ期待。ドキュメンタリーフィルムを「読破」ってなんやねん。こっちの話はあとで。もう一つは。一つ上の写真を凝視してみて。「なに調べとんねん」。

写真内で「調べて」いる語をここにあげつらって解説なんぞもしてみたかったりもするんだけれども、それをすると「有害サイト」扱いになりかねない、という至極ビミョーな世の中なのである。

考えてみりゃヘンな話で、こういった語は例えば医療従事者だとか考古学では普通に不可欠なはずで、もちろん当事者たちは恥ずかしげもなくいわゆる放送コードに引っかかってもおかしくない語を、恥ずかしげもなく連呼するわけである。これらの語は、BBC のドキュメンタリー「Pompeii – Life and Death in a Roman Town ( Mary Beard )」から多くを抽出したのだけれど、だけでなく、普通にテクノロジーなドキュメンタリーでも古代人について言及する際に普通に頻出してた(例えばヒトの糞尿を使って加工する、的な)。こういったことって例えばどっかの博物館なんかでもよく見かけるでしょ。「ヒトの営みの記録」なんだもの、普通なわけでしょ。なのにあんましこういった語が頻発するドキュメンタリーって、そういえば日本であんまし見ない気がする。やっぱしヘンだよねこれって。

どんな内容ならこんな単語ばかり収集することになってしまうのか、については、このドキュメンタリーの最後の Mary Beard 氏のまとめでだいたい想像出来ると思う:

The people who died in this cellar helped us
to understand that Roman society wasn’t quite
as black and white as we often imagine it to be.
Sure, these people would had vastly different lifestyles,
but they lived cheek by jowl and they shared a lot too.
The smells, the dark, and dirt.
Not to mention the wine, the sex, the food and the fun.
And in the end, of course, they shared the same fate, in the same cellar 2,000 years ago.

ちなみにこのドキュメンタリー、冒頭でいきなり「This programm contains some strong language.」という注意書きが入ってる。これは最初 Mary Beard 氏の英語が独特なのかな、と思ったんだけれど、きっとこれはまさにそのことを指してたんだよね、合ってるかな?

でちょっと思ったんだけれど。こういった「汚らしい言葉たち」を、いったい「プライマリ言語が英語でない英語学習者」たちは、いつどのタイミングで覚えるのだろうか。おそらくネイティブ英語話者の国に飛び込めばまさに「日常語」なのだから、いやでも覚えるんだろうが、ワタシみたいに海外に行く気はさらさらないけれど英語を学びたい、という人たちは、なんかこういうアカデミックなドキュメンタリーが一番これらの語を覚えやすいんじゃないかしら、と思ったりした。ないでしょ、「下ネタで憶える英単語」みたいな「マジメな学習教材」。

なお、「Pompeii – Life and Death in a Roman Town ( Mary Beard )」だけど、目茶目茶おもしろかった。言われりゃそうだろうなぁと思うんだけれど、そう思ってポンペイを考えたことは、ワタシにはなかったので。150もわからない語が出てくるんだからおそらくワタシにとってはやや高望みレベルだった可能性はあるんだけれども、つまりはこれが理想なのね、「ちゃんと内容理解するとちゃんと得るものがある」。そりゃ記憶に残りますって。

あとさ、「こんだけの作業した」って愛着てのもあるのかもね。もとから日本語として入ってきてしまうとさして感動はないのかも。自分で読解したからこその感動って、きっとあると思うのね。

目指してるのは速読、からの、英語字幕品質のはなし

「読破」言うたのは。むろん「英語字幕を読んでいる」という行為を指しているんだけれども、これは個人的ニーズとして、「聞き取りよりも先に英語が速読出来るといいなぁ」てのが第一目標なのれす。てのは何度か言うてますな。

英語字幕を、ネイティブスピードのまま追いかけるのは、「多分」速読力を鍛えられる、と思っている。というのも、「読んでいる」と言っても速度は喋る速度のままで、なおかつ「完全な一文が表示される」ことなくブツ切りなので、高校卒業程度の英語感覚のまま読もうとすると全然間に合わなくて、「英語話者が理解する順序で」読まないと全然ついていけないのね。あーあれ、「返り読み」が全然出来ない、これが映像に乗っかった英語字幕の良さだと思う。日本人がいつまでたっても英語上達しない最大の要因らしいよね、「返り読み」。これの強制封印状態で読むことになるんだわ。

というのが「速読力を鍛える」ということにフォーカスした英語字幕の良さの話、であって、もちろんこれがリスニング学習にはあんまし良くないのかもしれないなぁ、てのはある。とはいえさ、「単語力がなきゃ聞き取れやしないよ」=「まずは正解が読める環境で」は間違っちゃいないと思う。だんだん英語字幕にも頼らずに済めばいいなぁ、とは思うけれど、全然焦ってはいない。

さて、ここからは、「入手した字幕の品質」のはなし、からの、「文化の話」。

youtube に挙げられてる Closed Caption は下手すると一個人が好意でもって独自に聴きとりされて挙げられてるものも多いわけね。なので、聴き取り力が全然大したことないワタシですらわかる間違いも結構平気で混じってるのはまぁ「製品品質じゃないのは仕方ないよね」てこと。ある程度自力で脳内変換するつもりで使うのが吉だわ。ただ、聞き取り間違いやスペルミス程度ならいいけど、duration がハチャメチャで全然実用になってない字幕も結構あるので、これはまぁ…、「捨てちゃえば?」。

「製品品質でない英語字幕」がツラいのは仕方ないとして、じゃぁ「製品品質の英語字幕」ってそもそもいいもんなの? これは知ってる人は知ってるだろうけど「否」。そしてこの「否」な部分をこそワタシはあてにしてたりする。どういうことか?

「速読力をつけたい」がための英語字幕とするならば、「喋ってること全てがそのまんま字幕に起こされてる」のが理想だ、ということ。けれどもそれこそが「英語圏の英語字幕のダメなところ」だったりするのね。そう、あの短時間で読み切るには、英語字幕のフルテキストは「人間が普通に読める量を遥かに超えている」のです。「字幕文化」の発達した日本では、まずは読む方にも技術があって、そして当然字幕を付ける人々が長い時間かけて磨いてきた技術によって、「字幕が速過ぎて読めない」てことはまずないでしょう? これは「ちゃんと読める分量」を計算した卓越した技術、なのよね。当然字幕の必要性の少ない英語圏で、字幕技術(文化)が成熟しないのは、これは当然の話。

つまりはちゃんとした、つまり「間違いのない製品品質の英語字幕」でさえ、ネイティブスピードのままでは「とても読めたものではない」のが普通、なのね。じゃぁ「喋ってる部分だけ見えてるんじゃなく一文がちゃんと読める量が見える」ならいいかと言えば、これだと当然量が多過ぎて今度は映像の邪魔をしちゃう。この「とても読めたもんじゃないわ」状態で読むのが速読を鍛えるのに良かろ、てことなのであった。

イケメンで憶える英単語

ハナシは全然変わって。

BBC Learning English の紹介はちょっとしたわよね。無論こんなのは多分英語を学びたい人には常識中の常識、なんだろうけど。なにせ BBC Learning English の歴史は 70 年にもなるそうだ。

BBC Learning English に登場する人たちの中に、Finn というお兄さまがいらっしゃる。なかなかにイケメンである:


この Words In the News シリーズは 2015年の9月で終わってるみたいだけど、それまでは結構長いこと「毎週」やってたみたいで、Finn さまは 2013 年の初めくらいから、専任に近いくらい毎回登場してる。そしてどうやら一時ドキュメンタリー制作のために離れたらしく、2015年春から急に登場しなくなり、「Where’s Finn?」とコメントする人々多数、ザ・人気者。The best of Finn なんてまとめもあったりする。

男の子、なあたくしが、「きゃーイケメンー」つーのはヘンですか、そうですか。ええやないですか。ジャニーズ、好きですわよ、あたくし。ディーン・フジオカ、かっこいいじゃないすか。いや、「そっちの人」じゃないよ。でもやっぱしイケメンは目の保養になるです、はい。

なお、Rob、Neil も味があって慣れると好きになれます。

イケメンで聴き続けた「効能」にまつわるエトセトラ

本屋に寄ったら、宮沢賢治絵本の英訳本を見つけて、黙読してみた。ら。あーら不思議、「愛しの Finn さま」の脳内再生。これってええことなんやないですか、ひょっとして。

なんてことを思ったが、これを突き詰めて「シャドーイング」まで行けたらもっと上達できるのかもなぁ、と一方では思ったりもした。「シャドーイング」はなんつーか、いきなり試みても相当むつかしくて、「まだ諦めムード」なのね。トレーニングとしては多分かなり効果的なんじゃないのかと想像は出来てるんで、いずれちゃんと習慣にしたいとは思ってはいるんだけれども。

「据え置きな MP3 プレイヤー」的なもの

また全然違う話。

英語教材自作:youtube動画をMP3に、そしてCDに」ネタで、ふるーい CD ラジカセを使った話を書いた。

そもそもワタシはなんであれ「身につけて持ち歩くもの」すべてが苦手で、それだけでなく「自然音が聞き取れない状態で外で行動する」ことはしないし「出来ない」ヒトだったりする。つまり、大昔ですら Walkman は及びでなかったので、iPod なんかも「もってのほか」なのね、生活の選択として。だからほんとは携帯やスマホですら、持ち歩かないで済むなら持ち歩きたくないほど。

なので「据え置き型 MP3 プレイヤー的なもの」って発想になるわけなんだけれども。

実は老眼対策品購入のついでに、ヨドバシにも寄って、ちょっと見るだけ見てきた。かつて I-O DATA 製品の「SCANDISK」なんてのがあって、これって確か「外付けハードディスク兼 MP3 プレイヤー」だったんじゃなかったかなぁ、今でもこの手のあるかなぁ、と思って。

結論としては「近いが惜しい」ものがあった。望んでいるのは内蔵HDDなりメモリに「取り込める」もの、なわけだけれど、そうではなくて、

  1. USB メモリ内の音声ファイルを再生出来るもの(「再生のみ」)
  2. USB メモリ内の音声ファイルを再生出来、ラジオを USB に録音も出来るもの(「録再」)

という「CD コンポ」が割と売られてた。そう高いもんでもなくて、1万円台から2万円台くらいのものも結構。ハイレゾ対応になれば少々高くなって、でもそれでも3万円台もあった。iPod や Walkman が安くても 8万円台だったから、「据え置く目的で外付けスピーカーも」と考えて iPod/Walkman を選ぶよりは遥かに安く済む。あと結構「英語学習向け」機能を謡ってる製品が結構あった。つまり柔軟なスピードコントロールだとか、リピート再生・プログラム再生とかね。案外いいのかもな、とは思った。

なんだけどね、それらどの「CD コンポ」も、発想がワタシとは真逆なわけ。つまり「既に iPod はお持ち」な人がその CD コンポを「iPod のコンテンツを聴く外付けスピーカー」的発想の製品なのね、皆。ふーむ、あんましワタシみたいなタイプ、いないのかなぁ?

そもそも買うつもりでみてないけど、買うとしたらやはり「取り込めない」のが不満に感じるだろう。USB メモリにガンガン突っ込んでおくのはいいとしても、そういう使い方をするつもりなら、割と「その CD コンポ専用 USB メモリ」を考えないとなんか不便だろうなと思う。ほかにも色んな用途で USB メモリを使うんであって。

いい加減「ふるーい CD ラジカセ」な生活、もういいかな、という気分もないではなくて、たとえば Perfume の CD をまともな再生環境で聴きたいぞ、と思わないでもないんで、その気になったら買ってもいいかなぁ、と思ったりはしている。全然高価じゃぁないしねぇ。ハイレゾ対応でさえ。

本日は以上

なんでこんな長文書きたくなったかって? 最近更新頻度が少なめでしょう? 書いてない間にちょこちょこ「あー、これ書きたいなぁ」と思うことも多くて。のでまとめて書いてみたのでした。をしまい。