どうせ和布蕪るなら、続き、のようなそうでないような (Python 2.7 の話)

こいつの Python 2.7 対応、しといた。

MeCab 関連の話からの派生なのでこの見出しだけど、MeCab の話は一切しない。(だったらなんでこんなタイトルにするんだっ。)

こいつの Python 2.7 対応しながら考えてたのは当然のことながら「捨てちゃいたい、Python 2.7 対応」である。かなり不毛。

私はかなりこれに慣れているほうなので割とさくっと対応出来ているけれど、「無垢な一般市民」を自覚するならまず Python 2.7 を嫌いになるところから始めなさい、と言いたい。何度か言ってる通り、Python 2.7 はあと2ヶ月半の命である。

ワタシのサイトにおける Python 2.7 の今後の扱いにてかなりしつこい言い方で書いたと思うが、私が「2025年まで Python 2.7 を見捨てない」のは私個人の非常に特殊な事情があるからであり、なので「私が Python 2.7 を見捨てないからといって絶対にそれを理由に「安心」してはいけない」ということ。

当たり前だが、日々これに関するストレスを感じながら作っている。ちょっと前のネタでの「asyncio」なんかその最たるものだよ。全体的に圧倒的にクリーンなコードが書けるというだけでなく、とてもクールな機能がわんさか追加されてるんだから。そういうのほとんど全部我慢してるんだから、ちょっとした拷問プレイだよ、こんなん。

で、これまで書いてこなかったこともちょっと考えてた。

それは、「アプリケーションの性質次第だよな」てこと。

その「私の事情」というのは、以前所属していたチームへの配慮なのだけれど、だとするならば、ということなのだ。要するに「ライフサイクルの非常に長い(2025年まで延命する)システムそのもので使われうるものなのかどうか」てことね。今回の一連の「MeCab のユーザ辞書メンテ」なんてのは、基本的には個人ユースのものだから、そうしたもの相手にまで Python 2.7 対応、しなくてもいいんじゃないかしら、と。

…。まぁなんだかんだ「慣れちゃっててさくっと出来ちゃうからやっちゃう」んだろうなぁとは思うけどね…。これはもう性だ、仕方ない。