読んだらいかんがな

なんかちょっと熱っぽくてダルい。今日も懲りずに他愛もない話。

「ネットの匿名性」の話。

ワタシはこのサイトを、まぁ「匿名に近い形」で運用しているけれど、少なくとも英語名での本名は隠してない。貼り付けたソースコードのコピーライトだとか bitbucket、GitHub アカウントを追っかけてもらえればわかる。和名での実名曝すと色々鬱陶しくてリアルの方の生活に支障が出るんでね、本名を曝す気はない。つまり「匿名性」を、リアルのほうの生活を破壊しないために利用している、というわけだね。

逆に言えば、本名を隠しているからといって、発言に責任がないとは思っていない、ということ。そうなんだけど、たまに吐く毒が、誰かの気分を害してたら申し訳ないなぁ、と反省することもある。バカなことを書きゃいつか自分に跳ね返ってくるんだから、気をつけないとなぁ、と。

で、こういう「半匿名」ではなく、いわゆる「名無しさん」の話ね。「名無しさん」、つまり「名を名乗れ!」なくてもいい掲示板やコメント欄の類の話ね。この類のを読んでていつも思うんだけど、書いてる本人たちはほんとに完全匿名だと信じているんだろうか、て話。その種のスキルがあるなら別だけど、基本的に http でのリクエストでは送信元 IP アドレスが必ずわかるんだから、そしてそれを受けるサーバはリクエストのログは記録しているんだから、詐称してない限りは「特定」出来るんだよね。

掲示板システムと http リクエストのログがダイレクトに連携しているとは限らないけれど、ログはアクセス解析のためやセキュリティ目的、あるいはデバッグ目的で、全く記録しない、ということはほとんどないはず。だからやろうと思えば、投稿者の IP アドレスは調べようと思えばすぐに調べられる。匿名、なの、これ?

まぁ「匿名だから何書いてもバレないぜ」と思ってるならちげーぞ、て話ね。徹底的に病んでる人はこういうシステムの裏をかいてまでネチネチやるんだろうから、そういう病気の方々にまでとやかく言うつもりはないけれど、そうでない「一般の病んだ人たち」にはちょっと言っておきたいと思ってな。


ドラマの話。

「明日の約束」をイライラしつつも視聴を続けている。なんで? 自分でもよくわかんなかったが、今回のを観て自分で理解出来た。これ、「毒親の二人」以外のキャスト全員の印象がとてもいいんだよね。特に学生の役の子たちが皆良い。内容的には…うーん。こういうのに「犯人」作って決着するのってどうなんだろか、と思った。ミッチーは「さすがにいい芝居してるなぁ、多分悪役なんだろうなぁ」と思っていたけれど、ここまで露骨に「お前のせいだ」しちゃうとさ、なんか色んなものがボヤけてしまわないかい?

「監獄のお姫さま」。ダメだ、疲れてきた。元気なときに頭からっぽにして観るぶんにはいいんだけど、さすがにあのウザさ全開の展開はシンプルに、「疲れる」。次から観るかわからんわ…。


「宝石の国」の話。

たまには内容に即した褒め方もしてみようと思う。無論こんなのは「好きになってから」言える話。これを理由に「だから観ろ」なんてことにはならん。

細かい話なんだけれど、このアニメの登場人物(石?)で「重要な脇役」が二人いる。ワタシが思うに、ジェードとルチルの二人。

ルチルの方は「ストーリーテラー」とまではいかなくても、少なくとも物語世界の「説明役」の多くを担っている。彼女(彼)を通して視聴者は、この世界を知る。

ジェードはこれは「視聴者代表」。もしくは作者の投影、かも。特に「フォスの観察者」としての機能。ジェードの振る舞いや表情だけ追っかけてるとなかなか面白くて、原作もそうなのかどうかはわからないけれど、少なくともアニメではこれは、はっきりと演出でそう見せているのだということがわかる。(つまり「その他大勢キャラ」から一つ引いているかもしくはズレていることが多く、これはスタッフの明確な意図を感じる。)

ゆえ、この二人(石?)は一度も一話かけてクローズアップされたことがないにも関わらず、視聴者はこの二人を早くに「認識」するし、愛着もすぐに持つ。もしこの二人のこの演出がなかったら、「宝石の国」はここまでキャッチーになってないと思う。そのくらい「地味にすごい」。

こういう地味だけれど細かい演出って大事だと思うんだよね。うまくいっているものだとこういう地味なことはかえって気付きにくいんだけれど、うまくいっていないのをみると実感する。うまくいってないのは「クジラの子らは砂上に歌う」ね。

ジェードとルチルの話なのに画像はモルガナイト攻撃:

9話のモルガナイトの「すげーのびるー」は何度聞いてもいい。1話の「あほだ」も良かったしな。