本日の、「読んで損した」

読んで損するくらいなら読まない方が良い。

二人で三文字にしかならない。

要潤と杏。タイムスクープハンター、のはなし。

録画していたセレクションをさっき観た。毎週観ていたわけではないが、随分長いことやってる気がするな、いつからやってたっけ、と、ふと。2009年からか。まだ6年なのか、もっとやってる気がしてた、と思ったが、冷静に考えれば6年てすごい。

タイムスクープハンターが斬新で面白かったこと三つ。

一つ目。その二人で三文字以外の役者が、いつ見ても知らない役者ばかりなこと。どこから見繕ってるのだろうか。演劇が好きなのでテレビでほとんど露出のない役者も比較的知ってるつもりなのだが、「メジャーな」劇団公演のレベルでは記憶にない役者ばかりだ。なおかつ「キャッチーな」役者が皆無なのがまた面白い。このことが「ドキュメンタリーっぽさ」の演出になっている。狙いなのだろう。

二つ目。言葉。考証がどの程度正確なものなのかなどワタシには知る由もないけれど、「当時話されていたとおぼしき」言葉を役者にそのまま喋らせ、字幕でこれを補助する。現代の日本でもまれにこの状況、ないではなくて、たとえば沖縄方言とかに標準語字幕がつくあの感じ。これが「リアル風味」になっている。

三つ目は、二つ目までの「リアル風味」とは正反対の「ウソくささ」である。これははっきりと、狙いなんじゃないかと思う。というのもこのウソくささは、ドラマに没入することを防ぐのに一役買っているからだ。視聴者は決して登場人物に共感したりはしない。そうではなく徹底して「観察者」でいられる。沢嶋雄一によるカメラとレポートという形態が「過剰」であることが、「これはリアルではない」ことを暗に伝えている。つまり視聴者には、「教養番組として楽しむ」余地が常に与えられている。だから視聴者は「へぇ、そうだったのか」と、見世物小屋感覚をいつでも楽しめる。この番組が歴史教養番組として成立していられるのは、このウソっぽさにあるといっても過言ではない。

最初の2つの「アイディア」はきっとこの番組の発明なんかではなくて、「実際にそのように企画・意図して、やりきっている」ことがお見事、なのだろう。どれも誰かはどこかで考え付きそうなものだもの。民放だったらスポンサーへの配慮、のひとことで、我慢し切れなくて有名役者をキャスティングしちゃうだろうし、視聴者からの苦情を怖れて媚びれば「聞きなれない日本語と字幕」という演出も避けるであろうし。三つ目は、狙いならお見事。天然ならそれはそれで凄いと思うが、NHK ならありえる。

無論この番組のもう一つの魅力は、きっとこれが一番の狙いと思うが、これまで多くの人々が興味を持たなかったであろう民俗学に焦点をあてたことには違いはない。「歴史好き」を自称する多くが英雄伝を好むが、考古学や民俗学は「地味」過ぎて、まさかこんなやり方でドラマ化しようなんて、きっと NHK でしかこんな企画、「通らない」。民放でもこういうの、やりたかった人はいっぱいいそうな気がするけれど、これまでなかったということは、「こんなの誰がみるんだ」と却下され続けた結果に違いない。

ところで、「劇場版 タイムスクープハンター」。「観たくねー、これ、わかってねぇなぁ」と思ったのはそう、「二人で三文字」以外の有名役者が出ることがわかってしまったから。キャストみてがっかりしてしまった。タイムスクープハンターらしく、「見たことがなくて華がない役者ばかりで展開する」を押し通して欲しかった。映画館の大スクリーンでそれをやってたらそれこそ、「伝説的な」映画になったんじゃないかと思うんだけどなぁ…。NHK も媚びちゃったのかな。

この番組、「終了」と噂されていることを今知った。「区切りのファイナル」という言葉に反応してのことではないかと思うが、単に劇場版を踏まえた「区切り」てことではないか? これだけ熱狂的なファンがいた番組だもの、そう簡単にはやめないでしょう。と思うんだけどな…。


「萌えないからだろ?」

少々古めのニュースになるが、海女萌えキャラ「碧志摩 メグ」の話。ニュースでみた際に瞬間的に出たつぶやき。

気持ちが悪い、吐きそうだ、生理的に受け付けない。と「言うわけにもいかない」か、もしくは批判している当人たちが気付いてない。マジョリティたちにはこのキャラクターは「単純に薄気味悪い」。

考えてもみればいい。好き嫌いの「理由」なんか、99%後付けである。「嫌いだから」理由を考えるのだ。「好きだから」理由を考えるのだ。あばたもえくぼ、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。このニュースの本質は、報道されているよりもずっとシンプルである。

マイノリティの趣味を否定する気はない。が、マジョリティが被害を蒙るならば、徹底的に批判されるだろう。「エロティックだ」「男に媚びている」と批判されているようだが、そもそもエロくもないし、媚びられているとも感じない。気味が悪いから避けたいだけだ。


だから早く転落防止柵を付けなさいっての。本日夕方、京浜東北線大井町駅で人身事故。転落かどうかは定かではないけれど。

JR蒲田駅には、松本清張の砂の器で有名な「国鉄蒲田操車場」がある。なわけないか、「蒲田電車区」がある。WikiPedia によれば「検査部門は残っており、京浜東北線の電車が留置されて仕業検査も行われている」とのこと。そしてこのことを「思い知らされた」ことがあった。

プラットフォームに階段をあと数歩で降りきるところだった、ちょうど。「そいつ」がやって来て、一瞬で何が起こったのかを理解した。半分以上が割れたフロントガラス、大量のガムテープでの補強、牛のごとくの徐行運転、そして回送。その場に居合わせた誰もがすべてを了解し、飲み込んだ。

「そいつ」は静かに停止し、駆け寄ってきた駅員は、乗務員が降車するのを待って、そして塩を撒いた。

こんなことは東京に住んでいると結構な頻度で出会うがあまりに日常的過ぎて、報道されない。話によれば、電車運転士で一度も人身事故を経験しない者はまずいないと聞く。こんなことを、日常、当たり前、で済ませて良いはずがない。ニュースになるほどに、激減させなければならない。まずは防止柵、そして可能な限りの高架化。高架化で中央線の人身事故はほとんどなくなったではないか。高架化前の中央線は、毎日とは言わないが「いつでも」人身事故だったのだから、措置さえすれば、ほとんどなくせるということではないか。(中央線ユーザだったことはただの一度もないが、中央線に乱されるのはしょっちゅうだった。)

だいたい防止柵なんか、コストパフォーマンス絶大だと思うんだがねぇ。


JR川崎駅に「北口」が出来るそうだ。

動線が乱れて混乱するんじゃないのか? と思うのだが、ちゃんと考えられているんだろうか? 不安だ。

JR川崎駅はシンプルであるがゆえに、人の動線がわかりやすく、あまり人とぶつかる心配をしなくて済む、使いやすい駅だと思っている。自分が知っているなかでは、品川駅が最悪だ。山手線との接続のための乗り換える人たちと品川駅で降りる人たちが完全に交差するうえに、京急線乗り換えの人々も合流してくる。品川駅で降りようとすると、向かってくる人たちにぶつからずに降りれることはまずない。こうならないことを祈るばかりだ。


JR横浜駅だったと思うが、乗車位置の前の、待ち列を指示するペイントが、「両側を広く開け」る通りになっている。伝わりにくい?

全部の駅でそうして欲しい。ドアのまん前に突っ立った上に、降車しようとしている乗客を押しのけて入ろうとする馬鹿ものが後を絶たないから。おっさんやおばはんに限らんぞ。若者の馬鹿者も、少ないけれどもたまにいる。

馬鹿ってのはな、「お前がそうするからお前が入れないのだぞ」ということだろ? 論理的思考回路がぶっ壊れているんだろう。降りる方が降り切ってから乗った方が早いことに気付かないのはアホだ。実際「馬鹿っぽい顔」にみえるし、そう見られてるから安心しろ。

こういうの、田舎だけのことかなと信じてたんで、東京でも「ラッシュ時以外は」そうなので、正直驚いた。ラッシュ時はさすがにそういったバカはいない。やろうとしたってそんなこと出来ないからね。問題は、「ラッシュを少しだけ外した」時間だ。少し外したくらいでは混雑はおさまってはいない。それでも強引に入ろうとするんだからもう、頭カチ割ってどんな構造してんだか覗いてみたいわ。スライムでも詰まってたりするんだろうか。