反「「今じゃないでしょ!」的防災意識」。非常時の安全な水についての「愛知衛生研究所衛生化学部生活科学研究室的解答」

ロープワーク、ほかには?で○バーまとめを批判したのはいいんだけど、そうしたらそうしたで、じゃあ正しくはどうなんだ、ということは気になるわけであり。阿蘇まで噴火したしなぁ。続き過ぎだよ、まったく。

「まとめオンリー」が危険なのは、コンテキストを失ってしまうからである。これは「要するに」がほとんどの場合「要してない」のと同じだ。違うけど。

サバイバル法の場合のコンテキスト、とは、「どのような状況に置かれた場合に適用できるのか・適用すべきなのか・適用してはならないのか」である。すなわち、「飲料に適した安全水が入手可能である可能性を思考から排除して」汚染水を浄化しようと考えるのは、ナンセンス極まりないのみならず、「命を落としかねない危険行為だ」ということになる。

「専門家がちゃんと書いたテキスト」にはコンテキストが溢れており、「まとめらー」達が敬遠するのはまさにそこだ。まとめらー達は「肝心な情報」を漉し取る天才の集まりだ。これは「回りくどさを排除する善意と良心」に基づく。そして「まとめらーに寄り付かー」はそれをありがたがるのである。この構造は容易には破壊出来ない。「まとめらー」の善意・良心の破壊力は凄まじい、ということだ。












なんてな。

要はな、「専門家が丁寧に優しく書いたもの」を、長いからって敬遠しなさんな、と言うことよ。理解を「サボ」ると危ないんだってば。

なんとなくフラっと本屋に入ったんで、サバイバル本を立ち読みしてみた。確か傭兵やってた人が書いた本、だったかな? いいこと言ってたぞ。立ち読みして「記憶」してきた内容なんで細かいニュアンスは違うかもしれないけど、書いてあったのはこんなこと:

水のことで危険を冒さない。汚染された水で病気になると多くの水を失う。疑わしい場合は必ず5分以上煮沸すること。

5分以上煮沸、の部分はともかくとして、「水のことで危険を冒さない」と、多くの極限状態に置かれたであろう著者が言うのは、説得力がある。で、これから紹介しようとしてる「愛知県の」サイトにも:

下痢を発症すると一日に3リットル以上の水分を喪失し高度の脱水に陥ることは希ではなく、

と書いてある。「まとめらー」がまとめる情報が間違いだ、とは言わない。そうではなくて「コンテキストを失っている」ことが大問題なのであって、優先度、適用条件を間違うと、個々には正しいそれら「情報の断片」が「この」最悪の事態さえ招きかねない、ということなのだ。

てわけで本題の「紹介」。愛知衛生研究所衛生化学部生活科学研究室が、ちょっと2006年と情報発信自体は古いんだけど、「どういう風に順序立てて考えて備えるのか」を、期待通りに丁寧に書いてくれてる(備蓄⇒保存⇒浄水):

ただこれ、これだと「まとめらー」たくなる気持ちもわからんでもない。サイトのデザインが「古臭くて読みにくい」し、一箇所だけ私には意味が取れなかった日本語があった。「その3」の「それら2~3種類を目の粗い順に重ねて使うとより効果的です」という日本語、「どういう順?」て思わん? こういうのは絵にして欲しい、と思うのよね。

愛知県のこれとともにもう一つ見つけたのは、国際山岳連合医療部会(UIAA MedCom)公認基準「山中における水の消毒」という文書。登山者向けである、ということを差し引く必要がある。また、書いてある内容はやや難解。けれども「誤った知識を持った者・訓練されていない者は浄水を試みてはならない」と言っていることなど、はっとさせられる。

あえて「要するに」と言うならば、両者から言えることは、「これらの文章を読んで理解する自信がない/する気がない」ならば、決して俄か知識で汚染水の浄水を試みてはならない、ということだけ。これが唯一正解の「まとめ」。













海外旅行をする人にとっての水問題はある種深刻なので、よく海外旅行に行く人はこういうの、良く知ってたりすんのかな。あたしの場合は、「北海道で登山」してた関係もあって、「エキノコックス対策のために必ず煮沸」はかなり煩く言われたのよねぇ。「水がきれいでおいしいイメージのあるあのデッカイドウの山の水が危険」なのを意外に思う人もいるかもしれないけれど。

現代人は、特に現代の日本人は、普段は水に恵まれすぎているわけで、ちょっとした病原菌や異物には極めて弱くなってるわけよ。だからこそ「非常時だからやむなし」の我慢するレベルを、ぐっと高めに「理想論をベースに」維持しとかないと簡単に「死ぬ」と思うんだわ。ほんと。「サバイバ」ろうとした知識がもとで死んだらシャレにならんでしょうよ。