勝ち組から負け組へ(オダワラー)

S.W.ニクルだし天気も久々よいし、てことで、微遠出して小田原に遊びにいった。

石垣一夜城がお目当て。てわけで、宗教じみた説教をたれたいわけではない。石垣一夜城(勝ち組)から小田原城(負け組)を望み、攻め入ろうではないか。

小田原市による公式サイトをみてもピンとこない:

JR早川駅より関白農道を経て徒歩約40分(石垣山農道は「早川・片浦ウォーキングトレイル」のコースで、石垣山に参陣した武将たちの生涯を簡単にまとめた説明板も設置され、歴史にふれながら散策することができます。)

農道? 北海道に住んでいた影響で、農道と言われると即座にジャガイモ畑や麦畑や牧場の光景を思い浮かべてしまう。んー? 40分て長いけど、苦痛じゃないのか? と思いながら、川崎駅で目の前で熱海行きに発車されてしまい、仕方なく小田原行きに乗る。小田原で乗り換えて、次の早川駅で下車。

駅前の案内板をみて歩き始めたが、石垣山農道「早川・片浦ウォーキングトレイル」の入り口を見失い、少し行き過ぎた。看板の表現がわかりにくすぎる。「この先1.7km」とあれば、行き過ぎて1.7km 直進しようと思うだろう、誰だって。まさか看板位置で曲がれ、とは思わない。

目的の坂を5分も歩き始めて、徒歩約40分が苦痛でないことがすぐに理解出来る。説明板のおかげ…ではまったくなくて。絶景哉、絶景哉。農道は「みかん畑」のため。右手はほぼ40分の間ずっと開けていて、相模湾、早川・酒匂川を望みながら行く。「歩きたくなるみち 500選 – 日本ウオーキング協会公認」の看板が目に留まる。納得。城址に辿り着く前に満足しかけている。なんつぅ気持ちよさ。

石垣一夜城城址跡周囲は樹木の密集度がやや上がるため、眼下の景色は少し見えにくくなる。ただし「一夜城ヨロイヅカファーム」側は開けていて景色は良い。

穴太衆の手による野面積。映像や画像ではこの迫力は伝わらない。やはり自分の目で見るに限る。本丸跡の展望台から下界を眺める。どういうわけか小田原城がわからない。小田原城付近、の特定までは出来たが、記憶のなかにある天守閣が識別出来ない。白っぽくて四角い何か建物、が、森っぽい緑の中にあることまではわかるので、たぶんアレだろう、と了解し、下りることとする。

帰りは行きと違うルートを使ってみる。ヨロイヅカファーム駐車場を出てすぐに右に折れる細道。下り始めて、行きとは丸っきり違う趣に驚く。舗装はずっとされているけれど、景色は1/3ほどは山奥といった風情。みかん畑の中ではあるものの、谷の中を入っていく「日陰」のルート。こちらはこちらで良い。

元の道に合流してからようやくはっきりと小田原城を「識別」出来た。本丸跡からみえたのはやはり小田原城だったか。

小田原城が「みえた」。そして「近い」。石垣一夜城から小田原城は、水平距離にすると3km程度しか離れていないとのこと。そして今ワタシが「みえた」場所からは、もっと近い。なんだ、歩いて行けそうじゃん、歩いて行こうっと。

早川駅には向かわずに、左へ折れて小田原城を目指す。近かった。すぐに着いた。

小田原城は…。来年4月まで「耐震補強工事」中で、天守閣見学、出来ません。をーい…。あちこちで「せっかくここまで来たのに」「なんだよ」という声が聞こえる。一夜城、行きなんせ、とお奨めしてやりたい気になった。

天守閣なき小田原城では気分的な盛り上がりも欠ける。銅門が「天皇の料理番のロケ地」だったことに微かには感動しながら、日本猿がなんでここに飼われているんだろうと疑問に思いながら、郷土文化館の(特に2Fの)展示物への愛情のなさに参りながら、なんとなくのブラブラ歩き。

帰りは小田原駅から東海道線で座って帰れたが、さすがに疲れ果てた。電車でも寝て、帰ってからもすぐに寝てしまった。












写真もなんもない旅行記ですまんの。持ち歩かない人なの、写真的なもの。持ってても撮らんと思う。脳内に焼き付ければそれで十分。また来たくなれば来ればいいこと。

びっくりしたんだけど、観光地って説明看板があるじゃない? 小田原城にも当然あるよね。それをスマフォで撮影してるあんちゃんがおってさ。なにそれ、家帰って読み返すん? それとも何かエビデンス? ワタシの場合はその場で全部読んで、憶えていられるに任せてしまう。あとから興味が出てきたら本を買い漁ったり改めてネットで調べたりするから、忘れてしまうことには別になんの問題もないからさ。とにかくスマフォ世代とでも言うべき彼らの行動には驚かされることも多いわね。