ないと諦めるな bash と python (と git と awk と perl と…)

ちょっと一つ前の投稿で気付いたことがあったもんで。

sh.exe がないって言われるんです」問題について触れたときだとか、あるいはもっと遡ればこんな言い方をしたこともある。要は、「ある一定割合の技術者にとっては「不可欠としか言いようがない、異論は認めません」」と言えるほどに根底を支えるものなのに、「手に入らない!」とした場合の「あなたの在り方」の話ね。

いまでも「DOS ねばならぬ」と頑なに信じている技術者はたぶんかなり多いと思われる。身近にもいたし。ただそういうのは「技術者」の不必要なプライドやこだわりによるものであって、普通の一般市民にとっては「どーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっでもいい」ことであって、まぁはっきりいってしまえば「そうしたい方々の気分はまったくわからん」と言うのが、まぁこれが普通の感覚ね。ただ彼らには彼らの正義があって、「ミニマルであることを選ぶ」のは「どこにいっても通用する」というメリットを選ぶからである。そして Windows においてその最も根幹となるのが「DOS だろ、決まっておる、ほかにあるわけがなかろう」と。

この発想は、まぁ最低でも「5年前でさえも」眉唾な意見だったと思うが、最近はさらに「バカいってんじゃないわよ」と論破出来そうなくらい、「お前の言ってるそれは、そうでもない」と言えるようになってきた。

実は「ある一定割合の技術者」とヘンな言い方をするのは、あることを踏まえてのことだ。これ、実際問題「Microsoft のコアデベロッパ」が大いに含まれている、てことなのである。すなわち「Unix がなければ生きていけない、emacs、愛してるっ」という技術者が、Microsoft 内部に一定割合存在しているのである。このことは MSDN マガジンのライターが頻繁に emacs について触れていたことからもわかるし、「事実、その証拠を今すぐ入手可能である」。

何が言いたいかってね。「何か開発に必要なもの」をインストールすると、そうした「文化・思想」も一緒にインストールしがちで、「Unix 好き/不可欠だ派」の恩恵を、「実は知らずに受けてる可能性がある」てこと。アクティビティと潜在ユーザ数により、その可能性が非常に高いのが見出しにあげた「bash、python、…」で、今だと、Visual Studio に実は Git がこっそりバンドルされていて、その Git が bash (MSYS かどうかは知らない) をバンドルしていて、しかも「Python 開発環境」が選べるのだが一緒に Python もくっついてくる。awk、perl 等はこれは「Cygwin, MSYS, MinGW」流派が「ミニマルで不可欠なもの」としてチョイスしたものたちなので、まぁまず bash が手に入るなら一緒に手に入る。

java エンジニアが案外気付きやすかったと思われるのは「全部いりえくりぷす」だろうが、そもそも Microsoft は Python コミュニティを非常に大事にして、多額の寄付も行い、なおかつ「Python 用ビルドツール」をわざわざ作ってくれるほどに Python 好きである。Iron シリーズの最初も Python だったし。

こうした「こっそり必要なものをバンドルする」ことは、バージョン衝突の問題も引き起こしがちで、ワタシは今年初めに Windows 10 に乗り換えたしょっぱな、「emacs と ImageMagick からインストールしちゃる」としたことが理由で「ImageMagick が勝手に同梱している古い ffmpeg」が問題を起こした。そんな感じで、特に Unix 育ちのものをインストールしたなら、ちょっと何が一緒に手に入ったのか、調べてみるといいと思う。そういうことを癖づけておけば、「インターネットから隔絶された職場の仕事用PCで、許可されたソフトウェア」に実はこっそり付随していた「python など」の恩恵は、受けられるかもしれない、てことである。

そして、百歩譲って「やっぱり bash と python と…は諦めるべきである」を認めるにしても、である。「DOSねばっ!」はやっぱバカだよ、せめて PowerShell しとけ。ここまでくるとさすがにスキルを疑う。それはこだわりじゃなくて、単に積極性に欠けているだけだろう。

…。なんか久しぶりにこういう「プアな環境向け」の話を書いた気がするわね。最近の「古い記事の発掘作業」からの連想ゲームなのですわ。