Emacs愛と、さようならMeadow

gnu
どういうわけか職を転々としたわけでもないのに移動が多く、作業環境の引越しは何度したか知れない。何かの雑誌だったか、あるいはWEBの読み物だったか忘れたが、「設定はかたくなにデフォルト派」のようなことを言っている人がおられたが、ワタシはまさにそれで、さすがに移動のたびに複雑な個人設定なんかやってられなくなり、今は大抵ソフトウェアは最小限の設定以外はほとんど手付かずのまま使い続けることが多い。学生時代はユーザ辞書マニアとでもいうか、暇だったからだろうが、膨大な辞書を作っていたのだから、随分歳をとったものだと思う。

Emacs の話をしようとしているのに、そんなわけだから、.emacs の設定やらなんやらの「お役立ち情報」は何一つ書けない。ただ、今 WEB で emacs + Windows で検索しても、あまり情報がヒットしないので、「今 Windwos の Emacs ユーザが置かれている状況」を把握できていない私のような昔からの Emacs ユーザは一定数いるのではないかと思うので、そういう一握りの方には、少しはお役に立てるのかもしれない。

Emacs に染まってしまった人が浮気をしないことには、全ての Emacs ユーザは同意していただけると思う。私は一度として浮気せずに、Emacs ユーザになって、もうすぐ20年になる。最初は nemacs だったと思う。次に kemacs、続いて Mule。ここまでは Sun OS 4.3。その後 Windows 主体になって、Mule for Windows、その後 Meadow 2.x、そしてつい先日まで Meadow 3.x を使い続けていた。

「設定はかたくなにデフォルト派」であることもあるし、Emacs のバージョンアップはたいがい大ごとになるので、新しい情報なんか仕入れることもなく、これまでもいつまでも Meadow ユーザでいるつもりであった。最近ずっと使っていた PC が死んだ関係で新しく PC を購入したわけなのであるが、いつものように「さぁて、いつも通り Meadow をインストールするか」と思ってはじめて気付いた。

「あ、Meadow が入手出来ない…」。

保守をやめてしまったのであろうか?

致し方ないので、ようやく新しい選択肢を探す決断をした。「Meadowがどうなってしまったのか」の情報は見つけられないものの、「Emacs Windows」で、【Windowsユーザ待望】Windows用Emacs 24.4バイナリキターーーーーー(゜∀゜)ーーーーーー!!gnupack対応!MeadowからEmacs24.3 for Windowsに乗り換える。Meadowがいなくなった日 – 雨男の巣窟などを見つけた。

「Emacs のバージョンアップはたいがい大ごと」というのには理由がある。割とデフォルトの操作感が毎度少しずつ変質し、切り替えのたびに慣れの時間が結構かかっていたのだ。が、Meadow から emacs-24.2-20121208 への乗り換えについては、今のところ違和感が全くなく、ビビって損した気分だ。

そしてめでたく、またしても Emacs から離れなくて済みました、っと。

オシマイ


役に立たない情報でスンマセン。


2021-04-10追記:
昨年初頭に Windows 10 に乗り換えてから emacs の調子が非常に悪くて困っている。

ひとつには新しくなった Windows の IME とかなり相性が悪く、「最低でも非常に反応が重い」。これはバージョンによらず。ただこちらは概ね「少しの遅延を受け容れる」だけでいいので、致命傷とは言えない。

もう一つがかなり困っている。「Mule 的な言い方」をするなら、m18n、そしておそらく「今の emacs 的な言い方」での「unicode などの多言語」が、25.x からとてもキビシイ。

「多言語」の処理は、かつては Mule から統合されたのだが、このコードベースが 25.x から全然別者になった、とかだろうか? Gnu の FTP からダウンロードできる Windows 用バイナリを使うと、24.x と 25.x 以降の、たとえば「中国語を含むテキスト」を開いたときの動作の重さがまったく違う。体感で 25.x は 24.x の100倍遅い。日本語しか含まない場合なんともないので、やはり多言語の処理方式が全然変わったのではないかと疑ってしまう。(置かれてファイル名から、ビルドに用いた開発環境も違うと思われるため、そちらが原因の可能性も考えられはするのだけれども。)

ワタシが Windows 7 機でずっと使ってきたのがほぼ 24.x だったので、24.x をそのまま維持するのでもまぁいいっちゃぁいいのだが、新しいバージョンには新しいバージョンの良さもあり、たとえば、画像のインライン表示などは、ダウンロードしてきたままのバージョンを使う限りは、25.x 以降の方が「png も表示出来てハッピー」だったりもして、だから「25.x なんか捨てちまえ」とは思えない、さすがに。

となると、「必要に応じて切り替えて使う」しかないのかなぁと…:

.bashrc とかに書いておく想定の bash 関数
 1 function emacs_245 {
 2     export PATH="/c/Program Files/emacs-24.5-bin-i686-mingw32/bin":"`echo $PATH | sed 's@/c/Program Files/emacs[^/]*/bin:@@g'`"
 3     export EMACS_DIR="/c/Program Files/emacs-24.5-bin-i686-mingw32/"
 4     emacs "$@"
 5 }
 6 function emacs_263 {
 7     export PATH="/c/Program Files/emacs-26.3-x86_64/bin":"`echo $PATH | sed 's@/c/Program Files/emacs[^/]*/bin:@@g'`"
 8     export EMACS_DIR="/c/Program Files/emacs-26.3-x86_64"
 9     emacs "$@"
10 }
11 function emacs_272 {
12     export PATH="/c/Program Files/emacs-27.2-x86_64/bin":"`echo $PATH | sed 's@/c/Program Files/emacs[^/]*/bin:@@g'`"
13     export EMACS_DIR="/c/Program Files/emacs-27.2-x86_64"
14     emacs "$@"
15 }

なんつーか最悪な気分だ。けれども「中国語を含むテキスト」なんてのが稀なんであれば、切り替えもそう頻繁には行わんだろう、てことで、まぁ妥協案としてはこれでも悪くはないのかしらね…。