S.W.ニクルだし天気も連日よいし、てことで。
昨日の小田原攻めの疲れもあり、昼まで寝てしまい、行動開始はくだんの投稿後の13時半頃。遠出するような時間ではないので、超々近場で済ませようと、以前から通過するばかりで入ったことのない品川歴史館に行こうと、大森まで出かけた。大森なんてもはや「出掛ける」感ゼロ。
大森駅北口を出て、大森貝塚遺跡庭園を過ぎ、鹿島神社をこえてすぐ。記憶より遠いな、7、8分くらいか。着いて唖然。「本日は休館日です」。をーい…。みたら「月曜・祝日休館」だと。月曜、にも、祝日、にもあたってんのな。ヒドい…。この手の施設って月曜休館(祝祭日除く)てとこが多いので、まさか S.W 期間内が休館なんて、思いもしなかった。品川区教育委員会、もっと頑張ってくれ。今度どこかの土日にでも行くことにしよう…。
仕方ないので駅方面まで戻る道すがら、大森貝塚遺跡庭園、大田区側の大森貝墟碑をみながら帰る。大森貝墟碑は、京浜東北線ユーザには馴染みのもの。車窓から間近に見ることが出来る。蒲田側から向かうと左手にみえる。
いま WikiPedia を読むと、貝墟碑には
と書かれている、とある。「モース先生」ではなく「モールス先生」と書かれてたと思う。写真機の類を持ち歩かない人なのは昨日言ったとおり。なのでエビデンスはない。今ネット検索しても誰も指摘してる様子はないんだけれど、NTTデータ大森山王ビル横のレプリカの脇にある案内板では「モース」「モールス」両方の記載がある。こっちは確か。「モールス博士」という言い方はまったく馴染みがないけれど、大森貝塚周辺の人々にとってはあまりに常識的で空気のような話、なのかしらね?
Edward Sylvester Morse、なので、カタカナ表記だとモース、モールス両方ありえるんだろうけれど、貝墟碑から察するに、明治期は「モールス」が一般的だったのかもしれない。あの「モールス信号」のモールスさんは? Samuel Finley Breese Morse。同じ Morse なのね。ともにアメリカ人。貝塚の方のモースさんは、ありがちなことだけれど誰かが仕掛け人になって「モースに統一しようぜ」としたんじゃないかなぁ。より元音に近い表記を、てこと? 明治の日本人が、Morse 博士の自己紹介をどう聞き取ったか? モールスの方が近かった可能性はないではない。なんてことを思索してたら、やっぱりおんなじことを考えてる人がいた。学生がモールス先生と呼んでいた、ということが、そのまま貝墟碑に刻まれてるわけだね。
なお、大田区側の貝墟碑がモースが発掘した場所ではないことは既にわかっているとのこと。今の大森貝塚遺跡庭園の場所がモースが発掘した場所、だが、ここは品川区大井町。大森ではない。大森貝塚なのに。
品川歴史館に入れず、大森貝塚遺跡庭園も大森貝墟碑も時間を潰せる場所でもないので、大森駅アトレの本屋に行って、考古学系の本でも漁るかと入って、縄文系・弥生系な本を三冊ばかり購入。昨日の小田原城址公園内の郷土文化館の展示の影響もあって、ちょっと興味を持ったこともあるので。
この手の資料館では多くは短い説明しかなく、「~として使われていた」とかそんなことが書いてあるんだけれども、先史時代の道具って、現物みても「ほんとに人工物?」とすら思えるようなものもあって、どんな考察でもって「人の手による道具」だと判断したのだろうか、ということが気になったりもして。また、縄文時代てのがいつくらいのどんな気候だったのか、というのもちょっと展示見てて混乱してて。縄文時代って基本「暖かな気候だった」と教わってきたから、氷河期に当たる時代も縄文時代、という説明を読んで、わからなくなった。ちょっとここらのことが知りたい、と。
昨日・おとといの充実感と較べ、なんとも内容のない一日だったとも言えるがまぁ良い。休日の毎日がお祭りである必要はあるまい。