Triaging an Issue

翻訳作業に限らず、英語のドキュメントに当たっていると、非ネイティブには驚くような表現が使われていることって結構多くて。

PEP8にはこんなことが書かれている:

Comments should be complete sentences. If a comment is a phrase or sentence, its first word should be capitalized, unless it is an identifier that begins with a lower case letter (never alter the case of identifiers!).

コメントは完全な文であるべきです。コメントが句や文である場合、先頭のワードは、それが小文字で始まる識別子である場合を除いて大文字にするべきです。 (識別子の大文字/小文字は絶対に変更しないでください!)

これは俗に「ハッカー語」と呼ばれる、「this is a pen.」のように語頭をキャピタライズしない慣用に対する警告をしていて、要するに「普通であれ」と言っている。PEP8の主たる対象読者は Python コアデベロッパと OSS 開発者なので、「世界中の誰でも理解出来るコメントを書きなさい」ということを言っていて、同じく PEP8 に「英語で書きなさい」と言っているのも同じ理由。

ただ、「世界中の誰にでもわかりやすい英語であれ」というスローガンは、ときとして「クソ面白くもない堅苦しい」かもしくは「幼稚な」表現になる、ということは、きっとすぐにわかるはず。魅力的な文章にしようと思うなら、「同じことを表現する別の言い回し」が頻発するのは、これは当たり前のことであるし、「あえて本来の使い方ではない言葉を使う」ことで、強く印象付けたい、ということも、わかるはず。

タイトルの「Triaging an Issue」なんだけれど、これは Python 本家の issue tracker のドキュメント「Triaging an Issue」。

トリアージ、と言われてすぐにこの絵が浮かぶ人は、医療従事者か、軍関係者、もしくは、医療ドラマ好き、もしくは大規模災害の実際の罹災者の方々のいずれかだろうと思うのだが、だとすれば、おそらく日本人の半数が知っている、という類のものではないはずだ。1~2割知ってればいいほうなんじゃないか? これは英語圏でも同じなのじゃないのか。

ちょっとだけ調べてはみたんだけれど、「トリアージ」には、元々のトリアージ以外の意味はないらしく、まさに「トリアージはトリアージ」な模様。挙げた絵でわからない人は Wikipedia 読んで。

つまり、Python 本家の issue tracker のドキュメント「Triaging an Issue」がトリアージという言い回しを使っているのは無論、「インパクト」を狙っている、のだと思う。「そうか、単に分類する程度のことにもトリアージって使うことがあるのか」というのは、たぶん早計なんだろう、と思う。思う、思う、と自信がないのはもちろんワタシがネイティブじゃないから。きっとネイティブな人もビックリしてるんじゃないのかな、と思うんだけど、違うんかな? ネイティブな人が辞書や Wikipediaで調べて驚いてるの想像すると楽しいんだけどな。

Triaging an Issue」にはもう一つヘンチクリンな表現があって。「Nosy List」がそれ。nosy は noisy ではないよ。脳内で nosy を絵に出来たならきっともう意味がつかめると思うんだけど、これも、「ネイティブだってヘンな表現だと思う」類の言い回しと思う。いやぁ、ネイティブになってみてえわ。

A list of people who may be interested in an issue. It is acceptable to add someone to the nosy list if you think the issue should be brought to their attention. Use the Experts Index to know who wants to be added to the nosy list for issues targeting specific areas.

スニファというのも元はかなりヘンチクリンな言い回しだったはずなんだけど、あるいはスニファを踏まえた表現かもしれないね。

ネイティブが羨ましいと思うことがある反面、非ネイティブだからこそ面白い、ということもありそうだな、と思う。言葉ってのは生き物だから、仮に今は nosy が「違和感のある耳障りな表現」だったとしても、当たり前に使われるようになれば驚きは減っていくだけでなく、元の意味すら忘れられていくのは宿命で。そういえば夏目漱石が「発明した」日本語は多いそうで、だけれども今や誰も疑問に思わない日本語になっているわけで。