読まなくてよろしい

ここ数日の精神状態のはなし。

いつもそうなるんだからよせばいいのに、久方ぶりにネットを徘徊し、心を病んだ、の巻。病んだ話をブログに書こうなんざ気がふれてる、て? いいじゃないか、たまには。誰かの心の救いになるかもしれんしな、と思ってさ。

ワタシがインターネットを知らず、インターネットの世間的な浸透度もとても低かった、ワタシが大学学部時代(1992~1996年くらい)までなんてのは、心を病むネタなんてのは原則として対人マターがほぼ全てで、まぁマスメディア要因だってないことはなかったけど今よりは入り口が広くなかったので、見ないで済むことの方が多かったというわけだが、今は望まなくても誹謗中傷の類は簡単に目に入ってきてしまう。かつては写真週刊誌でも好んで望んで読まない限りはそうそう気分が悪くなるネタなんてなかったのに、今は写真週刊誌を強制的に毎日見せられているような時代だ。ちょっと間違うとすぐにこの迷宮にたどり着いてしまう。

ほんと同情するよ、ワタシらが子供じぶんには経験しなかったような精神攻撃を、毎日いつでも子供だろうが見ることが出来るんだものね、今の若い子たちは。なんであれ「教育によくない」ことが必死に隠されていたような世の中は、もしかしたら不健全である一方で、ある意味健全だったのかもしれない。疲れてない? 大丈夫?

何年かに一回は本格的に「落ちる」んだけれど、こうなるともうダメ。キッカケは相当些細だったりするのな。今回のはやっぱしアニメ・ドラマねたをちょっと深めに潜ってったら最悪な気分になり、ネガティブな思考が頭をぐるぐる回り続け、「落ちる、ヤバイ、落ちる、ヤバイ」の無限ループ。

立ち直りは今回は早かったんだけれど、キッカケがめちゃくちゃバカバカしい。その無限ループのまま夜散歩し、暗いからよせばいいのに多摩川の土手を(見えやしないのに)下ろうとしたのがいけなかった(というかよかった)。案の定湿っていた土手は滑りやすく、案の定滑り…うあ…がぅ…だだだっ、ずどっ。コケなかったが 2m ほどの土手の 1.5m ほどをよろけて走り降りるハメになり、最後のアスファルトで右足裏を強打する形で着地。さすがにあまりにバカバカしくなって笑った。かくして、こじらせかけた心の闇は晴れた。そして代わりに今日も足が痛い。引きずって歩いている。もう3日も経つのに。

よく健全な精神は健全な肉体に宿り、健全な肉体は健全な精神に宿る、というけれど、こういう身体的な強制イベントが精神状態をリセットしてしまうことがある。心が病んだときには心だけを回復しようとするよりは、肉体の方に働きかけた方が良いのだろう。

てわけで気が晴れた記念:
イエローダイヤモンド

落ちる方のキッカケなんだけどさ、アニメ・ドラマなネタ、でな、まぁ病んでる人たちが多いわけだよねぇ。こういうの、伝染するからやめろや、と思う。そして伝染してしまったわけだ。

冷静になった後で気付いたんだけれど、イヤな気分になる「病んだ人たち」って、「便利な揶揄言葉を粘着質にあらゆる場所に現れては撒き散らす」人たちなんだよね。「便利な揶揄言葉」に心当たりはないか? 「意識高い系」「同人レベル」「中二病」「クソ」…など色々。これらが問題なのは、「そう言われて悔しかった経験を持つ被害者と思われる人々が、自分の趣味以外のもの全てを攻撃対象としてあらゆる場所に「反撃」をしている」と思われるもの、もしくは「単にストレス発散で何かに当り散らしたいもの」にとっても「便利だ」ということなのね。ボキャブラリが貧困だからこそこんな言葉に頼るのは明白だけれど、本当はそう言いたくなるほどの「真性中二病」があるから困る、区別出来ないことがある。(白状すればワタシだってそう吐き捨てたくなるような酷い作品は多い。)

「宝石の国」だとね、これ、ワタシなんかからしたら、「60~70年代王道少女漫画」に馴染みがあるかどうかで入り口でつまずくかどうかなんて明白なんで、調べてみるまでもなく好き嫌いが半々なのはわかってるんだよ。女性支持率の方が高いだろうな、てことも想像してた。でこれは案の定そうだった、のだけれど、(これこそが冷静になったあとでわかったことだけど)「60~70年代王道少女漫画」なんてさ、正直全部今でいう「意識高い系」になっちゃうんだよ、その流れを汲むこれが「意識高い系」にみなされやすいのはこれは当然。(「系」じゃなくて意識高かったんだってば、それが恥ずかしい時代じゃなかったんだから。) そして「自分に合わない」ならそもそも放っておきゃいいんじゃねーの、とワタシは思うんだけれど、例の「鬼の首めっけ病」という現代病をせっせと発動させてる人々が…、まぁ多いこと多いこと。そんなのに疲れちゃった、てことな。

「意識高い系」とともにもう一つ多かったのが「サブカル好きが騒ぐからイヤだ」みたいな論調だったんだけど、こっちは実はちょっと笑った。あぁわからんでもない、と。ただこれについてはちょっと冷静に考えたら違うかもな、とも思った。そもそも「サブカル」と「メインストリーム」なんてこれはいつでも簡単に入れ替わるんであって、宝石の国は「かつてのメインストリーム」なのよね。サブカル好きがどうこう、という観察は、今は確かにちょっと正しいかもなぁ、と思うところもあるけれど、今の40~50代にとっては、こっちのほうがメインストリームなんだよね。だから「かつてのメインストリームの復権」という具合に歓迎しているのかもしれん、ワレワレは、と思った。

闇が晴れてから改めて、「海外の反応」(翻訳してくれてる)なんてのをつらつらと読んでいた。宝石の国の「中国の反応」が面白い。中国にも病んだ人々はどうやらいるらしいけれど、宝石の国の「中国の反応」はとても好意的で、なおかつ「鋭い」。相当リピートして視聴してるワタシでも「をぉ、この観点はなかったわ」祭、彼ら、心の底から楽しんでる、が、やはりどうやら「仏教に対する理解」が関係しているようだ。洞察が深い。驚いた。(対して欧米の反応はやはり表面的なものが多く、一言目には「CGI の割には」二言目には「フェミニズム」が出てくる。欧米人も結構楽しんでるようだが、やはり日本人・中国人の楽しみ方とは少し違う。)

ジェード

そういうわけで本日夜の宝石の国(9話)も楽しみだ。

ヲシマイ。


05:00追記: 流れで…富山の腐女子に救われた、の巻。今こういう良識的で分別のあることばっか書いてると相当攻撃されるだろうなぁと思うけれど、この感覚の方が圧倒的大多数なのだ、ということがちゃんと正しく伝わって欲しいよ、ほんと。バカの貧困な主張の方が目立つから困る。