補完と補間

言葉に敏感になる話。

「completion=補完」だと思い込んでいる翻訳があってちょっと参ったなんてこともあったんだけれど、「補間 (interpolation)」を見つけて、ふと自分が interpolate を日常で日本語でなんて言ってたか思い出せなくなってることに気付いた。

NumPy/SciPy あたりの科学技術系操作なんかを多用してたり、それ以前に数学を日常にしてればなんてことはなくて、ワタシの場合は前者だった時期があるので、例えば numpy.interp なんぞは心の友だったんであった。

要するに「読んで理解出来ることと人のために翻訳することは別世界」てことで、脳内で絵が浮かぶ限り、漢字がどっちだろうと関係ないけれど、翻訳では正確にあてなければならない。なんかふと昔のワタシは補間と言うべきところで「補完」言いまくってたんじゃないだろうか、なんてことも思ったりもするが、結構前のことなので思い出せない。

「completion=補完」ではない、の話なんだけれども、これはまさに complete の原義の「完成/完了させる」ことから「補って完成させる」の意味に派生してる けれども 、もともとの完了の意味で使ってる場合もある、という話。文脈無視して翻訳したらいかーん、つぅ話。「コールバック関数が補完」してどーする。

目を凝らして読まないと間違える「補」「補」は無論「末尾を完結させるために補う」か「間を埋めるために補う」かの違いなわけなんだけれど、なんつーかもちっと区別しやすいものにならなかったのかなぁと思う。