想いが先行して間違ったことを言ってしまうはなし

書いてしまったあとで「あ、やべ」と気付くようなことだってあって。

これが特にそうなんだけど、「言いたいこと」が先行して技術的に間違ったことを口走ってしまうことがある。人間だもの。

これも読み返すとちょっとおかしい。あとで追記入れるかも。

自分のことでもそうだけれど、人の記事読んでて「あー、やっちゃったな」と思うことも多い。「学者が頭がいいとは限らない」の典型かなと思うんだけど、とある「北のほうにある」大学の「教授的なひと」がカジュアルに書いてるブログで思わず目を疑ってしまった。そこでは「#おかしい」という「ハッシュタグ的なもの」カテゴリがあって、「学者目線で思うおかしいと思うこと」を書き殴っている。その中で「最大瞬間風速がおかしい」という指摘があって、思わず噴き出してしまった。この人、頭がどうかしてしまったんであろうか? 観測出来ている精度範囲内での離散観測データの最大値ってだけでしょうが。その「離散データ」が平均値だろうが計算結果だろうが関係ない。なんであれ「導出された離散の風速データ」の中での最大値を「最大瞬間風速と呼ぶ」と定義すればそれだけのこと。この人も「目の前の数学や科学と実世界のマッピングが出来ない人」らしい。(そして当人はそれが出来る人だと自負しているのがまた問題。)

この人の論法を喩えると、「リンゴの重さを測ることは地球上の全ての場所で重力加速度が違うのだから出来ない、おかしい」というのと同じ程度に「おかしい」。おかしいんではなくてそれは「出来ない」だけの話、おかしいおかしくない論法がおかしい。そもそも応用数学や応用科学のスタートは「役に立ちそうな指標をピックアップする」ことでスタートすることが多いわけね。風速値が「どんな手段であれ観測データとして可視である」ことを基礎データとしてベースにおいて「何か出来るなら」(何かそれよりデッカいことが言えるなら)、それが応用の始まりなわけ。地震学や気象学なんかは「なんか知らんけど見えちゃってるデータ」が基礎になることも多いわけだわ。そりゃぁそうでしょう。人間サイズより遥かに大きかったり遥かに小さかったりするものを「見る」んだから、「見えているものは真の姿とは限らない」なんてどっちかといえば当たり前。ボトムアップに全部が数学で組み立てられるならサイエンス自体いらない。

ワタシもそうだけど、「想いが強くてつい書き過ぎてしまう人」はこういうヘンなこと言わないように気をつけないとなぁ、って話でした。

ちなみに「学者が賢いとは限らない」の逆で、「タレントが馬鹿とは限らない」は大いに言えて、というよりはむしろ「タレントは頭の良い人の集まり」と思う。学がある、とは限らないけれど、皆軒並み頭の回転が速い人たちだ。馬鹿にみえるタレントほど実はとても頭がよいかもね。