とおいちかば

S.W.ニクルだし天気も連日よいし、てことで、八王子に遊びに行った。

八王子城がお目当て。小田原城は落城せずに開城した城だが、八王子城は攻め入られて未完のまま落城したという。

八王子なんて遠いんだか近いんだかわからない。と思いながら横浜線に乗り八王子を目指していると、「十日市場(とおかいちば)」でナチュラルにアナグラムが出来上がって喜ぶ。

なんだかんだ東海道線が運んでくれる場所は遠くても近い。運賃で辛うじて遠いことを悟る。八王子なんかはこの真逆のことが起こる。停車駅が多過ぎて、近い実感がまったくないが、運賃から近いのだとわかる。どうでもいいが逆方向(横浜方面)が通勤ラッシュ並みの乗車率だったのだがどういうことだろう? 皆遊びに行くのか? 大変なことで…。

八王子で中央線に乗り換えると人が結構乗っている。二駅で目的の高尾駅に到着。まずプラットフォームの長さと屋根がないことに驚く。驚くというか、田舎にはよくある光景なので、ここが東京都であることを忘れそうになる。にしても人が多い。どこにこんなに人が乗ってたんだ? 「北口に向かう方はほにゃらら」な案内を見かけたが、このときは意味がわかっておらず、目的は北口だったけれど、そのまま南口で降りた。人が多過ぎるというか、皆のんびり歩くもんで、なかなか流れないのに耐えられず。

どうやらほとんど大半は高尾山に向かったようだ。北口側を歩く人は少し減っている。けれどそれでも多い。なんだか少し落ち着かない。「八王子城」への案内は、ほぼ皆無。頭に地図が入ってたので迷わず歩けたが、霊園前バス停の八王子城址入り口案内看板が出てくるまでちょっと不安だった。もっとがんばってくれ、八王子市教育委員会。

八王子城に向かう人が多い、のではなかった。おそらく半分以上は霊園。墓前に供える花を持っている人が多い。ほかは「わくわくランド」にでも行くのだろうか? 八王子城址に向かう道に入った途端、誰もいなくなった。その時間はわたし一人。いいねぇ、こうでなくちゃ。とはいえ観光地感ゼロ、というのは、いいことなんかわるいことなんか。もっとがんばってくれ、八王子市教育委員会。

城址に辿り着く前に北条氏照及び家臣墓、があるのだが、そこへ向かう道は民家の敷地になっていて、住人が焚き火をしてて、ちょっと通り抜けてまで行く気になれず、スルー。これを超えてすぐに「ガイダンス施設」がある:

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パンフレットの類はここで入手出来る。小さな建物だけれど、展示はわかりやすい。子供でも理解出来るだろう。

歩き始めるとすぐ、城山川の流れが気持ちいい。先に「御主殿」側に「古道」から目指す。曳橋が解体済みであることは先に知った上で来たので、なくてもなんとも思わないが、向かっていると戻ってくるおじさんに行き止まりですよと教えられる。「知ってま~す」と答え、曳橋手前まで向かう。堀切の跡は形を留めているが、大手門跡は復元されてもいないので、想像だけしてみる。曳橋手前で引き返し、江戸時代に作られた林道の方に戻り、「御主殿」を目指す。

「御主殿」敷地跡は広い平坦地になっていて、生活出来たであろうことは想像出来る。建物跡や道路状遺構が復元されていて、案内板も充実していてわかりやすい。虎口は映像で見た通りだ。発掘時の状態を出来る限り忠実に再現している、とのことだが、石の色もずっとこうだったんだろうか? 赤っぽい色。

「御主殿」などの居館から本丸などの要害跡へは、直接向かうルートはなく、いったん戻らなければならない。ちょっとばかし「もう終わり?」感があったので、主食がまだまだあることに少しほっとする。

戻って「登り」始めて、ちょいとめげ始める。うぅ、これは城、山城、いや、山だ、山。わかってて登らなければ、これはただの軽登山だ。体力には結構自信はあるが、息が乱れる。汗も沸いてくる。秋の気配が出始めている今で良かった。真夏にはさすがにワタシでもイヤかも知れない。とはいえこの「登山道」は一箇所を除いて全て鬱蒼と茂った森の中で、森林浴のつもりで登るなら、悪くない。涼しいと思えば涼しい。いや、暑い。暑いよぉ。

「9合目」の案内のすぐ先に、唯一開けた場所があり、ここは八王子市街一望出来る。さすがに気持ちがよい。視程が良い日であればスカイツリーさえ見えることもあるらしいが、夏だし雨上がりでもないので、遠くはあまりみえない。

そのすぐ先で八王子神社、本丸、小宮曲輪、松木曲輪などがある。先の開けた場所ほどでもないが、小宮曲輪、松木曲輪からはやや眺望が開けている。おそらくこの眺望が、戦国時代の武将が眺めたであろう景色なのだろう。対して本丸跡は、木に覆われ、眺望はない。ここが本当に本丸なのか、というほどに狭い平地で、構造物があったという想像が出来ない。どんだけ狭い建物だったろうか、どういう気持ちだったろうか、と思う。

帰りは行きに使わなかった「旧道」の方を通ってみる。道はこちらの方が荒れてはいるが、「旧道でないほう」ではみられなかった石垣を見ることが出来た。旧道も行ってみるべきだ。ただし登りではなく下りで使った方がいいかも。粘土質が剥き出しになってしまっている場所もあって、滑って登れないとかあるかも。

史跡内では30人程度の人に会ったろうか。居館側は「登山」感なく行けるので、結構人がいた。要害側はぐっと人が減った。静かだった。旧道での帰り道は完全に一人旅で、そこでは人には会わなかった。

「ガイダンス施設」に戻ってきて、今更ながら「失敗した」と思っていたこと。書いた通り「ちょっとした登山」なのね。入ってしまうとほんと何にもないんだから。売店はもちろん、自販機もない。最低でも飲み物だけは用意して登るべきね。わたしは結局ここまでちょっとだけ我慢してて、「ガイダンス施設」近くにある自販機でようやく水分補給。

ワタシはそんなに「城マニア」ではないので、単独ではへたすると「面白いとは言えない」になりかねなかったんだけど、石垣一夜城の直後だったのが功を奏した。石垣一夜城は「遺構」から想像しやすい。けれどもそこへ至る道は、「みかん畑のために整備された現代の農道」であって、戦国武将がどんな道を歩いたのかを想像するのは難しい。けれど八王子城はこれと正反対。遺構から想像するのは大変むつかしいけれど、この「登山」感は、「まじきゃよ、こにゃな道をば、甲冑着て刀で斬りあったと?」と感じ入るのは比較的簡単だ。息も絶え絶えになってこそのイマジンだよ、ワトソンくん。

帰りに、「多摩御陵」を眺めていこうと思って、歩いてみた。閉園時間16時を既に過ぎていたので中には入れなかったが、参道の並木が見事で、気持ちが良かった。そういえば「昭和天皇」とは言うが、誰も「平成天皇」とは呼ばないのはなんでだ。「多摩御陵」内の植生はきっと本来の原生林に近いのだろう。人工的な植林の形跡が感じられない。

そして高尾駅北口に向かう。高尾駅北口に着き、はじめて「高尾駅北口ご利用の方は」とわざわざ案内されている意味を知った。 関東の駅百選、ね。あぁ、写真でみたことあるぅ。そうか、絶対に北口から降りるべきだったんだな。