renderはrenderだ、とは言えないとき

悲しいとき。

単なる「読者」であるとき、あるいは日常で、今更「render」なんて調べようなんて思わない。「keyboard」を辞書で調べるようなものだ。普段なら「renderはrenderだろ?」で済む。

投稿画面を開いて書き始めたら、大学院に入ったばかりの頃にはじめて SunOS を「問答無用で」使わされたときに、先輩がふっつーに「デフォルトはこれね」と何気なく言い放ったのに対して「デフォルトってなんですか?」と質問したのを思い出した。

「レンダー」「レンダリング」の、およそ「コンピュータ関係」なる水商売に関わっている人種における認知度から鑑みるに、もはや言うまでもなくレンダーで良い、と思うのである。けれども、業界人以外には常識ではない可能性もあるので、そこまで考えるべきなんだろうか? …、という話ではなくてだな、今直面してるのは。

少しでも翻訳的な作業の経験をしたことがあるヒトならきっと同意してもらえると思うんだけど、「日本でも十分に通じるようになった英語」の扱いで困るのは、例えば「名詞化したものだけが良く知られているものが名詞以外で使われてる場合」、なのね。やってみればわかるんだけど、「レンダー」も「レンダリング」も一般的になってるとして、動詞「render」を、「レンダーする」としたのでは、なんだかギャル語だ。かといって「レンダリングする」としては(日本語としての)ニュアンスが異なってくることもある。「in order to render」でさえ苦心するぞ。「レンダーするために」? 日本語としてシックリこないでしょう?

多くの技術系外来語は、本来の意味をかなり限定的に受け取って広まるわけよね。例えば地震用語の「マグニチュード」は、本来的な英語では、元々は単に「大きさ」の意味でしかなくて、最近の報道メディアが必ず「地震の規模を示すマグニチュード」とクドイ言い方をするのは、そんなことが理由。「レンダリングする」が翻訳としてイケてないのは、この「限定的に受け取られる」ことに関係していて、どうしても平均的技術者はレンダリングというと、画像処理に偏ったイメージを持ってしまう。HTML 出力は画像処理じゃないって? いや、違うよ。「ブラウザがディスプレイに表示する行為」と思いがちなんだわ。実際その意味で言うことが多いのは事実なので、別に間違った理解ではないんだけれども。

結局ね、さぁ翻訳するぞ、とでも思わない限り、render を調べようなんて思わないもんだから、本来の意味を知ろうと思ったことなんてなかったので、実際のところどうなんだろう、と思った、という話。

The Free Dictionarylingueeでなんとなくシックリ来なかったが、画像・映像で憶える英語で書いた imagictがシックリきた。(残念ながら Bingo! 画像はワタシにはないけど。)

The shot rendered her immobile
 その発砲は、彼女を不動にさせた

という例文があがってる。全体として「何かの要因でもって別のものに仕立て上げる」的なニュアンスを伴った「make」、という感じなのかな。「意志を持って表出する」という感じでもあるかも。

で、どーすっかなぁ、と。「Now you can use xxx to render your example to HTML:」。「HTML 表現に変換する」「HTML 表現に翻訳する」だとクドい? 「あなたの例を HTML にレンダーするために」が日本語として気持ち悪いから悩んでるのだぞ。(レンダーを使うなら、「HTML としてレンダーするために」は悪くはないけどね。)