「マスク着用トラブル」だけで済ませるのはやめて欲しい話

個人的に「甘嚙み」してたことがある分野の話だもんでな、なんか一言くらいは言っときたくて。

ここ何日かで、飛行機での「マスク着用トラブル」についていくつか報道されている。いわゆる「マスク警察」だけのことなら「ネットde真実との関係」だのまぁ言いたいことは限られるし、おそらくワタシがする主張は世間でのそれと大差ない。が、こと「航空機」に関わることの場合は、たぶんこれから主張したいことは報道の論調とは少し違う。

一番強く言いたくて、そして報道があまり強く言ってないことは一つだけ。「日本市民は、「空は普通の日本とは違う」ということをもっとちゃんと知らなければならない」。

「法」の面で、「日本にありながら日常生活に使うのと異なる法律が適用される場所」というのは、日本においてはワタシが理解しているだけでも4つある。

  1. 大使館
  2. 保税地域(いわゆる「上屋」)
  3. 軍関係、特に「米軍基地」
  4. 航空

一つ目は言うまでもないだろう。そもそも日本の法律よりもその国の法律の方が優先されうる。二つ目は輸出入に関係する場所で、一般人は許可なく立ち入り出来ない。意外と日本中にある。3つ目と4つ目は少しオーバーラップしており、例えば「横田空域」はそもそも日本ですらない。当然今回の話で関係するのは 4. である。

論点として重要なのは、航空法、というよりは「航空法の元となっている国際法」である。一つには「空飛ぶ密室」という特殊性、もう一つには「空には国境が「あるようでなく、ないようである」」という点により、この国際法は日常生活から考えればかなり特殊でなおかつ「強い」。「感染症には国境がない」のと同じく、空の安全に関しては、極論するなら「国にとっては憲法違反にすらなりうる法が許容される」。具体的には「機長は神様である」という考え方である。何が言いたいのかと言えば、機長が「安全な運航を阻害する因子を排除する」と決断した場合、なんびとたりともこれに逆らうことは出来ない、ということである。

これが正しいことなのかどうか、ということは問題ではなく、とにかく現実にそういう法律に基づいて運航されている、ということ。なのだが、問題なのは、この意識が、運航者側にのみ主に知られ、一般市民にはあまり浸透していないという点である。メディアによっては、機長の判断を批判する論調もあるようだが、そもそもこれは法律的な意味では誤りで、機長はあくまでも正しく、また、法によって守られなければならない。だとするならば、一般市民は「そうであることを知り、受け容れている」状態でないと非常に困ったことになるわけだが、今起こっている一連の出来事はまさにそれ。かなり CA がかわいそうだと思うんだよな。

大事なのでもう一度繰り返すけれど、「空飛ぶ密室を守る」ために厳しい教育と訓練を受けている運航者側と、一般の乗客の感覚のズレ、というのが非常に問題だと考えている、ということである。パイロットと客室乗務員は最低でも乗客の400人などという人間を一瞬で殺傷しうる「空飛ぶ凶器」を扱っているという強い意識をもって業務を遂行している。そしてこれに非協力的であれば、場合によっては「即座に現実の凶器となる」、のにも関わらず、その「非協力的」な乗客にはその自覚がない、…、とまぁ、そういう構造なわけである。

「こんなに世の中が進歩したのだから」という具合に、凄まじい技術が「日常」になればなるほどこういったことというのは忘れられがちになるのだけれども、「どんなにハイテク機だろうが飛行機は「安全に飛ばそうとしない限りは相変わらず危険」」はずっと変わりはなく、我々一般人も時々思い返さなければならない、と思う。航空会社はいつだって、要は「乗客乗員からなる「小国家」の調和」を守ろうとするわけである。その危機こそが安全運航の支障となりうるからである。

「マスク着用トラブル」と「航空機でのマスク着用トラブル」については、意識して分けて論ずるべきだと思う。これがワタシの意見。