真面目さと不真面目さは共存したほうがいい

んー。どうも PV の傾向をみとると「宗教じみた」タイトルをつけると読みたくなるということらしい。どーせ大したことなんか書いてないんだから、読まねばいいのに、と我ながら思っちゃうんだけど。

タイトルのようなことは日々考えるわけよ。こういうこと言うと猛烈に怒りだす「マジメちゃん」が結構多いんだけど、ただワタシから言わせれば、大抵そのような「マジメちゃん」は、単に偏っているだけで「ある一面においては非常に不真面目で不誠実」だったりする。

つまりこういうこと。

「プログラムはちゃんと書かねばならぬ」。

そうなの? 「今のニーズに合う必要十分」じゃダメなの?

今実は CPython 翻訳プロジェクトの翻訳で rest のインラインマークアップの間違いをチェックしてちまちま修正してるんだけどね、このさ、「チェックプログラム」。ワタシは自分で作ろうが人が作ろうが「どっちみち信頼しない」ので、「チェック結果を全部個別に目でチェックし直し」て、問題を修正しとるわけです。目的は「問題を修正すること」であって、プログラムは目的じゃない。わかるね?

けど「マジメちゃん」の発想は違うの。「どーして不真面目なんですか!」とプログラムの方に一所懸命になったり、プログラムに一所懸命でないことを非難するわけ。それってほんとに誠実なんだろうか?

ワタシが今書いて使ってるヤツは誤検出はふつーにしちゃう。だから目でチェックすることは必要。じゃぁそれが「パーフェクトであるべきなのか」? そりゃパーフェクトなら理想だけど、だって、それが目的じゃないもん、どーだっていいじゃないか。

的なことを書けば皆読むわけか…。つーかもちっと普通の技術ネタにも反応して欲しいもんである。こんな宗教よりかはアタシが主張したいのは「もっと OSS に気軽に参加しよーぜ」とかだったりすんだけど。