英語について日本人で損したと思うこと

翻訳してると毎度思うんだ。

「技術用語」とか「専門用語」として訳語を固定することの「つまらなさ」、なのですよ、常に感じるのは。

2つ例をば。

デバッガの文脈でよく使われる「post-mortem」、なんだけどね、「専門用語」としては概ね「事後分析」でコンセンサスが得られてるんだと思う。けどさ…、これ、元の意味はラテン語の「死後」なのね。そして当然ネイティブなエイゴリアンは、このイメージを持ったままこの語を使っている。(テレビドラマなんかでの検死官ものなんかでも使われる日常語。) ちょっと羨ましいと思わないか? デバッグで日常語として「検死」を使ってる日本文化を想像してみ。「事後分析」よりずっと「イキイキ」しとるでしょう?

もうひとつは「last-resort」。これは技術語じゃなくとも「最後の手段」と訳されてますよ。けどこれもネイティブエイゴリアンは「resort」が持つ本来のイメージ (安楽の地とかコト) を持ったまま使っているわけね。だからこれも和訳として「最後の楽園」とでもしてしまいたい。これしたら確実に「誤訳だキャンペーン」の餌食だけどな。実際誤訳ではあるしね。なぜなら日本語の「最後の楽園」は「最終手段」まで意味を拡大してないから。

かなり前に「スクリプト言語」というカタカナ語について「脚本言語と呼べ!」なんてことを言ったけれどこれも同じ。「専門用語だこれは」という固定化が、どうしても「生の感じ (ライブ感)」を削ぎ落としてしまうのね。












2015-12-18 15:50 追記:
メモも兼ねて、ちょっと Python 翻訳の「誤訳だったもの」に関係してる面白いやつを。

Python ドキュメントの特徴なのか、あるいはネイティブには普通の表現なのかはよくわからないんだけど、以下のようなものが結構散らばってる:

Up to Python 2.1 the concept of “class“ was unrelated to the concept of “type“, and old-style classes were the only flavor available.

この後半部分を素直に読んで、「駄菓子屋で飴を買いたかったが、ハッカ味しかない」、みたいな想像が出来たヒト。正解です。これはまさにそういう意味。Python 2.1 では「旧スタイル」なんて呼称もなかったし、「それが唯一のものだった」というのがここで言っていること。だからここの訳は「Python 2.1 までは、 “class“ の概念は “type“ の概念とは無関係で、また、旧スタイルクラスが唯一のものでした。」という具合。

そもそも該当箇所は時制についての誤解もしてたのでほとんど零点に近い誤訳ぶりで「ユーザが好んで指定した場合のみ旧スタイルが使用されます。」なんて訳だったんだけれど、ただ正直言ってアタシも「the only flavor available」がピンと来るまで実は時間がかかった。「好んで指定」としたくなる気持ちもわからないではなくて、実際 2.2 以降は「新スタイルクラスを好んで選ぶ」(object を派生することで)ので「かすって」はいる。とはいえ結局事実とは正反対のこと言ってたので大誤訳には違いはないんだけれど。

さて、今回の追記の本題は誤訳をとやかく言うことではなくて。まさにこの「flavour」そのものの話。post-mortem、last-resort と同じく、該当部分の訳は気持ち的には「イチゴ味しか選べなかったのです」的な訳をしたいくらいだった。だってそういう言い回しなんだからさ。