書いたはいいが、誰の、なんだっけ、的な

あ、漱石か。

これね。

ワタシのサイトはこっそり色んな引用埋め込んでるけど、いつでもわかってやってるとは限らない、的な。

で、「この続きってなんだっけか」と。たしか「意地がどうで窮屈だとかで、住みにくかったりそうでなかったり」だったかね、と。「知に働けば角が立つ,情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」か。

でこれについて「論考」してる文章を見つけたんだけれど、ちょっとばかし、うーん、と思った。多少なりとも学があって、「智に働けば角が立つ」を「理詰めの方向に突き進んでゆくと、他人と摩擦を起こす」の意味に一発で取れない人がいるなら逆に知りたい、と思ったもんで。著者の周りではそうではなかったようだね。「棹させば」がたとえ「読め」なくても、これも「わかる」でしょう。

件の論述がとても「違和感」があったのはね。「他の箇所での用例検討」のくだり。「働けば」が漱石が「編み出したインパクトある言い方」くらいに考えるくらいでもいいんだと思うし、「働く」が持つ意味の集合から「それに執心する」あたりのイメージをつかまえて理解するくらいのことは、普通に日本人やってれば、なんなくやってのけられると思う。と思いつつ読んでるとこの方、ほかではちゃんと「当時でもおかしかったはずの言い回し」論は展開してるのね。なんかちょっとヘン。

学者感覚がときどき一般人とかけ離れてると思うことはたまにあるけれど、なんかこれもそうなのね。こうなってくともう、頭いいんだか悪いんだかわからん、なゾーン。明治以降の文学であれば、多少仮名遣いが違う程度が「苦しい」ことはあっても、全く読めないことはないわけで、また、時代背景、特に当時の流行(言葉遣い含め)を知らずに読むと誤解もしやすいとは思うけれど、ただ、ロゼッタ・ストーンの解読ではないのだから、分析的に読まずとも「読め」ろ? と思うのね。件の論考はロゼッタ・ストーン解析に対するそれに近しい。そこまでしないと読めないもんではなかろうよ。

人を言葉で驚かせようと思ったら、「元の意味集合から少しズラ」すことでそうすることは多いでしょう? 日常会話でだってそういうことは普通にやるでしょうよ。そういえば「目が点」はさだまさしが普及させ、「ネクラ/ネアカ」はタモリが広めたんだと最近知った。そして漱石のそれも、本質的にはこれらとそう大差ない。たぶん。

とはいえ。みっけたそのサイトそのものは面白いです。へぇ、と思うことはいっぱい書いてある。すぐに見つかると思うんで探してみて。