本日の「読むな」

だったら書くな。

読むなと言うと読みたくなるような心理を、心理学では「メンタルコントロールの皮肉過程(Ironic processes of mental control)」と言うそうな。でもワタシはそれを狙ってはいなくて、読みたい人だけ読めばいいような、だけれども言いたいこと、のために使っている。思わず読んでしまう人がどうやら日々何人かはおられるようで。皮肉過程に運悪くハメられてしまった人か、覗いてみたら妙なことが書いてあることに気付いて病みつきになってる人…なの? 本気で書いたネタより喰い付き良かったりするとちとこっちはヘコむ :-P

「読むな」「どうでもいいこと」みたいなタイトルの実用的な意図は、ほんとうはワタシ固有の事情に依存している。というのも、どうやらワタシがいい加減に軽い気持ちでつけたタイトルほど人が喰い付きやすいらしく、ということは、がっかりさせてる可能性が高いのであろう、という配慮の必要性を感じるわけである。「魅力的」かどうかは定かではないが、PV がヘンに高いものは、タイトルがヘンチクリンなものが多いので、ワタシは気をつけないとこうなっちゃうんだろう。全部の投稿がいつもいつも本気なわけじゃないよ、そら。本気なものほどその個性は発揮した方がよかろ?


本日9月3日といえば、あの青い耳なし狸型ロボットの誕生日である。つい先日「映画版 兼 CG版」という意味がわからないものをテレビ放映してたが、これのラスト、あの有名な「最終回もどき」、なのな。なんつぅか、感動の抱き合わせ販売みたいで、いやな気分になった。

そしてこの「最終回もどき」の感動を感動たらしめるための秘密道具こそが、「メンタルコントロールの皮肉過程」…なのか?


英語の勉強のためのネタ集めをチマチマやってるのがここんとこの日常。ふとその中で、所有の DIGA の、これまで気付いていなかった機能に気付く。

  • 「番組予約」
    • 「詳細設定」
      • 「毎週予約設定」
        • 「毎週予約」を「しない」以外に
          • 自動更新「入」

これをすると「自動更新を「入」に設定すると、前回録画した同じ番組を消去して録画します」だと。

毎日2つしかない「二ヶ国語放送の NHK ニュース」を教材にしたいな、と思っていたのだが、「同じものでは飽きるから毎日違うものを」として毎日録画にしてしまうと、溜まる一方かもしくは観ずに消す習慣がついてしまう。モチベーションが維持出来ないのな。あぁそうか、この自動更新、ニュース向けだな、と。日々溜まって行く事はないし、いつ見ても日々最新だし、録画だからその日のうちなら繰り返して観れるし。

ただこの「機能」、ワタシはこれ、「そこにあった」から用途を思いついたけど、一体一般の人向けの、どんなユースケースを想定して設計したのだろう? 見逃したくはないがずっと録っておかなくてもいいドラマ、とか? でもなぁ、ワタシは「3週間ご無沙汰ののちに一気に観る」ことに備えてしまいそうだ、毎週観れる状態にいても。


その NHK ニュースで。今ホットな話題の例のアレ、な話。

こんなことが業界のトップデザイナーでありうるのかというレベルのこと。

少なくとも私の今までの経験のなかでは、そういった軽率な行動は先輩がきつく戒めてきたこと。

その渦中なる人物(or チーム)と同業なるお方の言、である。

同業者が「信じがたい」と言えば、過ちを犯すような人物やチームの異常性が際立っていると思い込んでしまいがちなのだが、これがミスリーディングでないのかどうかは、疑ってかかった方が良い。

大抵の人は、「良い職場と普通の職場」か「普通の職場と酷い職場」のどちらかの経験に偏っていて、両極を経験する人は稀だろう。ましてや、どれも満遍なく経験している人は、そうはいないだろう。私は、期間こそ各々違うけれど、どれも経験してしまった。そうしたときに最も格差を感じるのは何か?

なんだと思う?

ワタシのわずかばかりの、だけれども比較的ひとよりはバラエティにやや富んだこれらの経験によれば、対面コミュニケーションと教育、たったこれだけだと思う。そしてこのことは、「ありとあらゆることに波及する」ことを、ワタシはイヤと言うほど経験した。精神衛生問題しかり、セキュリティ問題についての意識しかり、生産性しかり…。そしてそのことに、「そこにしかいたことがない」構成員たちが気付く事は、まずない。だから良くできたチームは酷いチームが置かれている本当の問題について想像することが出来ないし、酷いチームがなぜ自分たちが酷いのかについて分析できることも、ほとんど期待できない。ましてや酷いチームは、自分たちが酷いチームだという自覚を持つこともないし、良いチームの構成員も、まずそのことに気付かない。

すなわち、「軽率な行動を先輩がきつく戒め」ること、が文化として全く根付かない悲劇的なチーム自身が問題意識を発揮することは奇跡的なことであって、大抵は手遅れになってから始めてそのことに気付く。こうしたことは歴史上何度も繰り返されてきたことで、いわゆる「失敗学」では御馴染みである。

今話題になっているのはデザイン業界だが、どんな業種であれおよそ頭脳労働者における「チーム間格差」というものは、世間一般に考えられている何倍も大きいらしい。アメリカの研究によれば、出来るチームと出来ないチームとでは、得点差で10倍の開きが出るとのこと。多くはそういったチーム間を横断する経験はしないのであるから、その中にいる誰しもが、自分たちの常識がどこにでも通用すると考えがちだが、実際にはたいていの場合それは考え違いである。


イーモバイルPocketWifiの速度制限を喰らって改めて思い知ったこと、それは…。

日常生活において、従来型テクノロジーと最新テクノロジーのバランスを取ることの大事さと難しさ、なのだろうね。今回本当の意味で困ったのは所詮「余暇」な英語学習だったので、生死に関わる問題じゃないんだからいいじゃないか、と言ってしまえばそうなのだが、「なんでも仮想空間の中」に持とうとすると、その梯子を外されたときの不安感が尋常じゃない。狂い死にしてしまうんじゃないかと感じるほどに。

なんて不必要に深刻なことを考えながら、毎日使ってた英語教材「Fuel Consumption 英語の勉強兼B737とカローラはどっちがお得か」など毎日聞きたいものをダウンロードして DIGA に取り込んだ。

これはこれで不毛な作業で、無駄に疲労した。この「近くて明るい未来のための目先の苦痛」を苦痛と感じるかどうかの閾値が、年々下がってる気がする。もっと普通に不便だった頃なら、あるいは苦痛には感じなかったかもしれないのに。日常が便利で高速過ぎるのも考えものだ。どう思い返してみてもせっかちになってる。のんびり待てばいいじゃないか、とはなかなか思えなくて。


本日の「英国一家 日本を食べる」。タイトルは「Sushi & Beyond」。つまり、原著の「Sushi & Beyond」の書籍タイトルの元になったトピックらしい。

毎週楽しく観ていたが、今回のは格別。本編も熱い。「握り寿司が、歴史の浅いファストフード?」と衝撃を受けるシーン。日本人でも民俗学や風俗に詳しくないと知らないかもしれないそれを、英国人が著したというのは面白いかもしれない。「本来の寿司文化はむしろ回転寿司の方により近い」ことを、半分の日本人は知らないかもしれない。現代に伝わる歌舞伎も浮世絵も寿司も、どれも「大衆文化」なのであって、江戸のNODA・MAP、江戸のアメ・トーク、江戸のマクドナルド、なのだ。

アニメ本編のあとのミニコーナーの、今回の本気度が凄い。二ヶ国語の英語の方で先に聴いていて、あまりの本気の HIP&HOP に驚き、日本語に戻してまた驚く。げっ、両方本気だ。さすが NHK World Premium で同時配信するだけのことがある。日本語版と英語版、どちらも「主音声」なのだ、と、はじめて気付いた。