「仕事を楽しむ」なんて言うやつは信じない

というリリーフランキー。先日の「達人達」での宮沢りえとの対談より

どうかな?

半分は同意する。それが「楽しい雰囲気」を指すならば。もっと言えば「楽をすること」に暗にリンクしている場合。

ワタシの最近のマイブーム「MIND CHANGE」では、快楽物質ドーパミンと「脱感作」の話が、何度も何度も登場する。あるいは「思考のトラップ 脳があなたをダマす48のやり方」でも、人の脳がいかにして「楽な方へ」向かいたがるのかについて、これでもかというほどに説明している。

仕事をするにあたって、パートナーに「楽しんでやりましょう」と言う場合に、気軽に楽しく、あるいは和気藹々と、といった「雰囲気」を指すことは、普通は明らかだ。リリーフランキーが嫌悪するのは、まさにこの空気だろう。それならば私とて同意する。「楽しげな雰囲気」と良い成果は、必ずしも一致しないばかりか、「予定調和」という悪魔さえも潜んでいる。実のところ「楽しげな雰囲気」こそが、「言いたいことが言えない空気」を生み出す張本人ではないのか。やる気のなさの蔓延とはすなわち、触らぬ神に祟りなしの精神の流布に他ならない。そんな「ありのまま」ならいらない。レリゴーいってる場合ではない。

一方で、仕事は楽しんでやるべきだと思う。どういうことだろうか。

楽しめない仕事に結果が付いてこないことを、ワタシは良く知っている。おそらく貴方も良く知っている。個々人が最もパフォーマンスを発揮するのは、本人が楽しんでいる場合だ。でも、「楽しむ」って一体なんだろうか。

ワタシが「仕事を楽しむ」と言った場合に念頭にあるのはこういったことだ:

「知的好奇心を満足すること」、このことこそが「楽しむ」ことに違いない。そう思うのである。

この「楽しむ」は、「深める」にリンクしている。すなわち、本気である必要がある。本気で取り組むことと「楽しげである」ことが相容れるとは限らない。無論「気楽であること」とも遠い場合が多い。けれどもこの「楽しむ」には、「リラックスする」が暗黙に含まれる。「本気だがリラックスしている」とはすなわち、「適度な緊張感がある」状態を示唆している。なにやらアスリートのような心境と思われるだろうが、実際その通りである。アスリートの言う「楽しむ」と、知的好奇心を希求する「楽しむ」は、同じ性質のものである。

反感買いそうなのを承知で言うが、生まれてこのかた、勉強が楽しくないと思ったことも仕事が楽しくないと思ったことも一度しかない。これはいつだってワタシには、「知的好奇心をくすぐる」何かがあり、いつでも本気になれたからだ。

本気でやらなければ楽しくはない。本気で取り組めば、なんだって大抵のことは楽しい。それを知らないのが哀れで、悲劇的だと心から思う。そんなチームなんかとっとと消えてしまえば良いのだが、そういう問題チームほど「そとづらは良い」ので、そう簡単には消えない。だってそういう輩ほど「お客様のため」と言うのだから。「お客様のなんのため」か問い詰めたいと思うばかりの、薄っぺらいその「信念」を、残念だけれどもなかなか見抜いたり指摘したりする空気は、そう簡単にはうまれない。「ダメな組織」とはそういうものだ。

活気があること、楽しむことと「楽しげな雰囲気」は、案外相容れない。いや、むしろ真逆の場合すらある。無駄話や雑談が絶えない職場は「楽しげ」かもしれないが、「活発な議論が行われる職場」は活気があるだろうが「楽しげ」とは限らない。ハタから見ていると「意見を闘わせる」ことが喧嘩しているようにさえ見えることもあるだろう。少なくとも「楽しげな雰囲気」とは言えない。けれども大抵の場合当人たちは、「議論を楽しんでいる」。その種の「活気」であれば、チームのモチベーションを高めてもおかしくはない。

何年もこの業界(IT)にいるのでわかるのだが、「自分が期待していた仕事と違う」ことで腐ってしまう者は大変多い。これは無論若者に限ったことではなく、40にして「仕事が楽しいと思ったことはない」と平気で言う輩もいる。その「彼」はチームのモチベーションを下げる天才だった。彼のもとにいては、誰一人仕事を楽しめることはない。そうしたチームはいずれ静かに崩壊していくが、「少しずつ退職者が増える」という、観察しにくいことでしか影響が現れないので、決して「彼」が面と向かって非難されることもないし、職を追われることもない。だいたいにしてそういうタイプのリーダー・マネージャは、「いい人」に見える。こうしてチームは「静かに腐ってゆく」。

IT 業界では、「自分とは異なるさまざまな人たちのため」の製品に携わることの方が必然的に多くなる。ゲームのような「自分もその製品で楽しめる」ものだけとは限らない。日常出会うことが一切ない人たちに物を作ることも多いわけである。例えば「弁護士のための業務」なんてのを想像してみて欲しい。あぁ、オレは理系だ。法学になんか興味はない。楽しくない。やりたいこととは違う。これまで一度として楽しい仕事にありついたことなどないのだ、可哀相なワタシ。

そしてその「空気」は伝染する。せめて楽しく和気藹々とやろうぜ。和を乱す本気な不届き者は許さない。空気を読まないのはどこのどいつだ。チームメンバー擁護が「仕事を出来るだけさせないこと」に向かい、そしてそれは正義感という名のプライドとなって結実する。部下を守るオレ、理想の上司。

本当にそうなんだろうか。違うだろう。

IT の仕事は役者のようなものだ、と、よくワタシは思う。例えば警察官の正義感に思いを馳せる、例えば裁判官のプライドを持った仕事ぶりに感銘を受ける、などなど、「会うことはないけれどその先にいるワタシのユーザ」を尊敬しようと思えばいくらだって出来る。そういった「想像」は、得てして楽しいものだからこそ、本気にもなれる。自分では経験出来ない別の人生を、疑似体験するのだ。これはまさしく役者が日々行っていることそのものだ。これを「楽しむ」と言って何が悪い。


…と、おでんくんの本上まなみの声を思い出しながら考えた、って…もういいか、それは。