ティーバックの淹れ方説明書きとか、取説とかがツライ。
老眼ガイドより:
老眼の症状が出始めるのは個人差がありますが、一般的に40歳を過ぎた辺りから老眼の症状が出る方が多く、早い方では30代で自覚するようになり、遅い方でも50歳を過ぎた辺りにはハッキリと老眼である事を自覚し、眼科で診察を受ける方が多くなります。
だって。
老眼とは関係あったりなかったりする話をちょっと。
自分が若者だった頃に「ご老体でも読めるように」を意識していたとは思えない。だから若者に「老人のことも考えろ」と言って通じるとは思えないし、伝わらなくても良いかな、とは思う。けれど、若者とこんな不毛な戦いを強いられたことがあるのだね:
- これじゃ読めないから印刷しなおせ
- はい
- 数日後
- これじゃ読めないから印刷しなおせ
- はい
- 数日後
- これじゃ読めないから印刷しなおせ
- はい
ほとんど笑い話のようにしかみえないこれは、もちろん実話である。都度、「誰のために、何のためにレビューをするのか」を伝えても、本人はこれを聞き入れない。どうやら想像力が欠けているらしい。
「パラレルワールドの証明は出来ない」ので、「なんのために、誰のために」をいくら説いてみせても、想像力欠如には勝てない。
「なんのために、だれのために」については、「世のため人のため」以上の何があるのだろう、と思うのだが、「ヒト」への想像なしにプログラミングだけやっていればいい、という若者が多過ぎる。プログラミングなんか放っておいても身につくが、人間力もないのに、良いものなんか作れるわけはない。
憶えておいて欲しい。「パラレルワールドの証明は出来ない」が、「パラレルワールドの想像は出来る」。どんなに難儀でも、「自分の勝手知」らない世界に想像を巡らすことを知って欲しい。
みたいなことをさ、たかが「老眼」ネタから言ってみるだけ言ってみた。
けどなぁ、「そういう」若者みてて感じるのってさ、「なんだよ、あったまくるなぁ」てことなんかじゃなくて、可哀相てことなのよねぇ。
だってね、「頭脳労働者」の好物って、「想像すること」なんじゃないのかなぁ、と思うんだよねぇ。この楽しさを知らないって、どんだけ不幸だ、て思うんだけど。